ポリーナ、私を踊る

2016年フランス/ヴァレリー・ミュラーアンジュラン・プレルジョカージュ監督

原作のバンド・デシネはずいぶん前に読んだきりで、けっこう細かいところは忘れていた。このエントリを書き終わったら読み返します。
おっ、と思ったのは、巻頭間もない、まだ幼い頃の主人公がレッスンの帰り道で一人で踊るシーンと、先生との問答シーンで、この頃からすでに「踊ること」についての自分の意見をはっきり持っていたことがわかる。けして優等生だったわけでもなく貧しい生活環境から苦労のしっぱなしだった学生時代。やがて父母の念願だったボリショイ劇場の入団試験に合格するも、その直後、彼女は自分の意思でそれまでとは全く違う環境を求めて家を出る。遠く南仏プロヴァンスの地で、しかし、主演の座をつかみかけたもののあえなく挫折。流れ流れてベルギーはアントワープに辿り着く。
失意や挫折や困難というのは主人公の成長物語というドラマを作る上で必要なのだろうが、この映画の場合、まるで実在の人物の半生をドキュメンタリーで追っていたかのようなリアルさがある。とはいえまあ、喧噪かまびすしい居酒屋できついバイトをこなして、ほとんど自堕落な日々に陥ったなかでもダンサーとしての体形は崩れてないし、主人公をとりまく登場人物たちは(ボリショイの先生や父母など)主人公の成長にはおかまいなしにまったく年を取ってないように見えるのだが、それはある意味「彼女の目から通した世界」がそう見えている、という意味なのだろう。なので、映画全体を通して物語がおとぎ話めくというか、どこか寓話的な感触を観る者に残す。
本日より封切りの、記念すべき第一回上映に足を運んだのだけど、大規模なシネコンの大きなハコではないので前の方に座った。途中から、もう少し後ろの席でもよかったかな、と思い出した。
というのも、クローズ・アップが多いのだ。うんと引いた画面というのがかなり少なかったと思う。それがこの作品の意図であることはわかるが、案外家のテレビで観るのに向いているのかも、とも思いながら画面を追っていた。
曇り空が重い厳冬のロシア、日差しの柔らかさが印象的な南仏プロヴァンス、夕景〜夜のシーンが多いベルギーと、主人公の成長ステージに合わせた舞台設定とその撮り方が美しい。これはよく考え抜かれた脚本であることの証拠でもあるだろう。クラシック・バレエコンテンポラリー・ダンスの違いなども丁寧に描写されていて、そういうディテールもまるでドキュメンタリーみたいだな、と思わせる一因かもしれない。

ラストのダンスが例えようなく美しい。いやその前の練習シーンからすでにかなり涙腺に来ていて、ちょっと困っていたのだけれども。ダンスを、そしてダンサーをこういう風に切り取った映画はちょっと前例が思いつかないが(そもそもそれほどダンス映画を観ているわけではないので知識が皆無ということもある)、「いま」撮るべき映画、「いま」観るべき物語なのだ、という制作者の意図は充分伝わってきた。心に沁み入るいい映画でした。

【追記】
原作再読。いやあ、かなり変えてきていたんだねえ。そういや初読時には、先生とのワルツのシーンでうるっときたんだっけ。でも映画は原作のもつ甘い感傷をかなり後ろに追いやり、成功への足がかりを掴むところで終わっている。
この世界、実際には夢半ばで倒れてしまう人の方が圧倒的に多いだろうから、どちらのストーリィも“おとぎ話”なのかもしれないが、映画版の方がより「刺さる」気がする。なによりこの先の未来を予感させつつ終わる、てのがいいですね。