みちづれはいても、ひとり

寺地はるな著/光文社/2017年10月初版
思春期のころのもやもやした妄想だとか漠然とした不安、その裏返しのような根拠のない万能感。そういうものを「中二病」と呼ぶのなら、アラフォーのころの「もやもや感」はなんと呼べばいいんだろう。若さが徐々に失われていることを実感しつつ、けれども老人と言うにはまだまだ早い、ある意味宙ぶらりんな状態。誰かに胸をはって主張できるほどの実績も残せず、ゆえにこの先の生き方もまったくわからない。不惑、どころかますます惑いっぱなしの毎日を、とりあえず日々の暮らしに追われることでなんとなくごまかしている、そんな「もやもや感」。



既婚だが夫に逃げられ離婚を決意した39歳と、男をとっかえひっかえしながらずっと独身を貫いてきた41歳。この小説は、ふたりの女性が交互に(でもないけど)語ることで進んでいく。
おおざっぱに言えば、逃げた男を捜す旅であると同時に、それが自分探しの旅にもなったという構図なのだが、「旅」というには旅先での滞在がけっこう長い。それまで生きていた環境とはまったく違う土地で「生活する/しかし身分としては旅人であり異邦人」というアンバランスさを描いていることが、本作の魅力のひとつなのではなかろうか。
主役ふたりとも、まあ警察沙汰だよね、という程度には危ない目にあっているし、そのことによって心身ともに傷ついてもいるのだけれども、読後の印象は悪くない。それは、ふたりの女性に向けられた登場人物たちの「悪意」について、最後にちゃんと落とし前をつけているからだろう(まあ、例の社長だけはまだ危なそうだけど)。
「女とはこういうものだ」と頭から決めつけてかかる宏基と、「普通の人はこういうことしないっ」とことあるごとに怒鳴るシズさんは、価値観という点ではたぶん似たもの同士で、関わり合いになりたいかどうかは別にして、それなりにいいカップルになるんじゃないか。というかいいカップルになって欲しいと思った。この物語に救いがあるとすれば、このふたりの行く末を祝福する以外にないのではないか。

< 私はたぶん、いつも正しいわけではない。私の生きかたはきっと美しくない。>で始まるラストシーンの独白こそが、きっとこの小説のキモなんだろう。アラフォーにしてようやくそういう結論を得るに至ったこの物語は、一本のささやかな映画のような余韻を読者に残す(毎回言ってるけどこの人の小説って映像向きだと思うんだよなあ)。