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20世紀フォックスジェームズ・グレイ監督作品/123分/2019年

 

太陽系の果てまでお出かけするという舞台の壮大さと対比するかのように、主人公の内面に深く深く潜り込んでいくストーリィ。地味すぎるという評価があるらしいが、わたしはたいへん面白く観た。自宅でビデオ鑑賞だとなかなか難しい没入感を得られるという点で、これこそ映画館で鑑賞する映画だと思う。

劇能でここ数年のうちに観た宇宙ものというと…えーと何だっけ。インターステラーとかゼロ・グラヴィティあたりが記憶に残ってるかな。それらに比べると確かに派手なアクションだとかドラマティックな生還劇だとかはほとんどないんだけれど、この映画はそういうところを目指しているのではないんだろう。

火星の地下に基地が造られるほど宇宙開発が進んだ時代。はるばる海王星付近にまで知的宇宙生命体を探査する「有人」宇宙船。どんな遠未来かと思いきや、ファッションとか親子の関係性とか、登場人物を直接取り巻く環境そのものは現代とスムーズにつながる適度な近未来感で、つまりは時代がどう移り変わろうとも人間関係なんかは普遍的なものとして存在するのだ、という制作者の世界観がここにあらわれている。ていうか、そこまで変えてしまうと観客がどこにも感情移入できない映画になってしまうからでもあるんだろうけど。

というより、ひとりの人間をとことん内省的に追い詰める舞台装置としては、もはや深宇宙にしか残っていないということなのかもしれない。南北極点や未踏のジャングルなどでは、この手のテーマを演出する舞台としてはすでに「開かれ」すぎているのだろう。

火星で「西部劇ばりの」カーチェイス(あれはどうみても<幌馬車>だろ)を繰り広げてみたり、目的の宇宙船に乗り込んだ途端に小さいモニターに再生されていたのが古いタップ・ダンス(1930年代? ダンサーはニコラス・ブラザーズか彼らに類似したチーム)のモノクロ映像だったりと、随所に<古い時代>(1930年代なんて、登場人物たちが生きている時代からみればもはや神話の域かもしれない)の痕跡が見られるのがいろいろ楽しい(たとえ観客の興味をつなげるためのサーヴィス演出だとしても)。

 

個人的には、別れた妻とよりを戻すようなニュアンスで締めくくられたエンディングだけはちょっと引っかかった。父親との確執を乗り越えた主人公が、「ようやく他人との深い関わり合いを持ち始めるようになった」という成長のしるしとして置かれたラストシーンなのでここを否定してしまえば映画全体を拒否しているようなものでもあるんだけど、ちょっと都合がよすぎるんじゃあ…と思ってしまった。まあ、爆発する宇宙船からの脱出シークエンスとかも含めて、映画ならではのご都合主義が満載なのはご愛敬。

宇宙探検ものの派手な映画を期待する向きには不評なのかもだけど、ほとんど事前情報を得ずに観たわたしなんかはむしろこのシックさに好感を持った。家ではたぶん見返さないかもしれないが、ブルーレイは買ってもいいかな(同じような理由でゼロ・グラヴィティも開封すらせずに置いてある)。