サイバラかあさん、憤る

表現の自由への圧力」と抗議する西原さんに対し、市側も「正当な教育的配慮」と譲らない。双方が文書で主張を繰り返す事態となっており、9月2日の同市議会でも取り上げられる予定だ。

ツッコミどころはこのへんか。

西原さんは「フィクション作品の内容に介入するのは納得できない。子どもを学校に預けている立場上、作品を描くこと自体をやめろと言われたに等しい」と憤る。また、毎日新聞東京本社編集局は「毎日かあさんは西原さんの経験に基づいたフィクションで、内容については人権やプライバシーに十分配慮して掲載している。学校側には納得してもらったと認識している」としている。

作り手はフィクションというが、学校側はフィクションとは受け取っていないということ。
 
まあ、学校っていまや、いつなんどき凶器を持った不審者が侵入するかもしれん、てな危ない場所になってるからねえ。関係者がいろいろピリピリするのもわからないでもない。
ともあれ、この問題の現実的な解決方法ってなにかあるかな。要するにフィクション性を高めてやれば学校側はナットクするんだろうけど(たとえばとつぜん転校してしまうとか。ただし転校先でも同じようなエピソードが続き、一般読者には転校したことをあまり意識に残さないようにする)、作者としてはこの種の横やりによって作品世界が変わること自体が非常に不本意なんだろうな。
これはなかなか解決の難しい問題かもしれない。
 
【追記】
この件のぶくまを見ると、大方の意見はサイバラ側ですな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050831i106.htm
作品に抗議するならまず版元に言えよ、なのか、作者がそこにいるんだから直接言った方が早い、となったのか。いや、そういう問題ではないのかな。
「ネタにしろ」というコメントもあるけど、問題になってることを周知させるのは悪くはないだろうけど、わざわざ神経逆なでさせるほどのことかぁ?とも思うし、この作者ならさらにエスカレートさせるようで余計に解決しなくなるだろうし(あ、みんな火事が燃え広がるのを期待してるのかな)。
で、結局、一言でいうなら「相手が悪かった」ってことになるのかなあ(苦笑)

【さらに追記】
表現の自由を守る、という点では作者を応援したいのだけど、反発する教師あるいは保護者があらわれるのもわかる。というか、こういう事態は充分予測できたんじゃないだろうか。
今世紀に入ってから社会のいろんな面で「今までの常識」が急速に崩れていってるような感触があるけれども、「表現の自由」に関する「常識」も、もしかするとこれまでと同じようには通用しなくなっているのかもしれない。まあなんというか、閉塞感たっぷりな話ではあるんだけど。