巡礼の約束

2018年中国映画/ソンタルジャ監督作品

 

 チベット仏教の総本山・ラサへの聖地巡礼を描いた映画としては、わたしが観たのは2015年の『ラサへの歩き方 祈りの2400km』(チャン・ヤン監督)以来となる。「五体投地」を含む聖地巡礼の作法を丁寧に描いた『〜歩き方』とは主題も内容も全く違うので、優劣をつけるわけには行かないのだが、個人的な好みとしては、よりドキュメンタリータッチだった『歩き方』の方が好き。

 

 

 

 これは単純に監督の演出方法論の違いなのかもしれないのだが、『〜歩き方』では、登場人物の心情よりもむしろ背景・風景が非常に雄弁にドラマを語っていて、それがとても印象に残っていたのだ。

 それに対し、本作は必要以上に人物に寄ったカメラワークに違和感を感じた。ラサ行きの決意を語ったオートバイのタンデムシーンなどが特にそうなんだけど、あそこまで主役ふたりの顔のアップに終始する必要があったのか。

 本作はバストアップ、腰から上のカットなど、登場人物にかなり寄った(その多くが手持ちカメラとおぼしい)シーンが多く、ということは、逆に言えば引かなかった(=背景を映さなかった/映せなかった)場面が多かったのではなかろうか。映画の途中からそのあたりが気になり始め、いったん気にし出すといろいろ邪推しはじめる…という、映画鑑賞としてはあまりよろしくない状態になってしまったのだ。

 

 映画のラストは、目的地である聖地ラサ。前作は市内各地をたくさん駆け巡っていたのに対し、今作では山の上から眺めるだけで終わっていたのも、もしかすると、もはやラサ市内を詳細に映像として記録すること自体が許されなくなってきているのではないか…、そんな風に邪推してしまう自分がいる。

 

 考えすぎであるならばそれに超したことはない。ではあるけれども、どうしても「言論統制」だの「思想・宗教・表現の自由」だのというワードがアタマをよぎってしまうし、そう考えざるを得ないかの国の政治状況というものがあるわけで。

 

 

 夫婦〜親子間の普遍的な人間ドラマとして、かなり複雑な心理劇を2時間弱という尺におさめた脚本は素晴らしいし、子役も含めて俳優陣の演技力にはかなり見応えもあった作品ではあったんだけれども、映画の中で「語られたこと」以上に「語られなかったこと」について、ついつい想いを馳せてしまう…そんな映画体験でもあったのだ。

 

 パンフレットには、わたしをチベットに興味を抱かせた張本人である渡辺一枝さんもひとこと寄せていた。正直なところ、読むのがいちばん辛いコメントだった。