新書粗製濫造

以上、縷々あげてみたが、刺激的なポイントが多い割には、本の編集は親切でない。さまざまな関連するポイントを読者があとで振返ろうとしたときの手がかりがあまりにも少ない。だから、索引や参考文献表くらいは附けろと言うのである。本書で関心を持った人が仮に「クオリアマニフェスト」を見たとしたら、そのギャップが大きすぎる。間をつなぐ配慮がほしい。それとも、「新書」はそれは不要というのかね。最低でも、目次を詳しくして、各項目の頁数が判るようにせよ。それなら、600 円くらいは払ってもいい(笑)。

や、中公新書ラクレはひどいっすよ。私もラクレを1,2冊買ったことがあるけど、今後はよほどのことがないかぎり(その著者の追っかけをしてるとか)、二度と買うもんかと思ってる。ついでにいうと、ちくまプリマー新書も上に同じ。
つーか、まだ岩波中公講談社の3社ぐらいしか新書をやってなかった頃と違って、ここ数年の「新書ブーム」とやらで、みんなすっかり粗っぽくなってしまった。誤植も以前に比べて多く見るようになったしねえ。
今、新書界では老舗3社を尻目にバカ壁新潮・さおだけ屋集英社と、特に看板は見あたらないが(笑)文春がガチ勝負ってところだろうか。講談社現代は装丁を変えてから一度も手に取ったことがないし、岩波と中公もここんとこあんまりパッとしてないような。
昨今、新書から大ヒット本が出ているが、さーて、その元気いつまで続くかな。つか、新書の世界にあんまり「何十万部のベストセラー」を持ち込まないで欲しいんだがね<新潮社、集英社
ベストセラーよりロングセラー、本屋に常備してあっていつでも買える、そんな便利さが新書の魅力であって、決して本屋のいちばん目立つところに山積みされるようなジャンルでもないと思うのだ。出版社は「数冊のベストセラーのおかげで毎月これだけの点数を出版できるんです」と言いたいんだろうけど、フツーの読者としては「や、別に毎月そんなにたくさん出さなくてもいいっすよ」と返したい。浅い内容の本10冊よりも、何年も読み続けられるような1冊の方が、ありがたいに決まってる。
出版社だって本音を言えば、単価の安い新書じゃなくって、高く売れるハードカヴァーでのベストセラーが欲しいんだろうけどね。その単行本が売れなくなったからって理由で、じゃあ新書でっていう魂胆は、古くからの新書ファンとしては迷惑な話である。
 
何も新書に限ったことではないが、出版社は確かに「ベストセラー」に頼ってるなと思う。ベストセラー依存ということは、自転車操業体質ということでもあるのだろう。停まったら死ぬのである。だから粗くても誤植の嵐でもスカスカな内容でもなんでもいいから、とりあえず出版点数を多くしている。
部外者からみれば末期的症状じゃないかと思うし、たぶん内部の関係者もそう思っているんじゃなかろうか。しかし、とはいえ、もはやどうすることもできないところまで、きているんだろう。うーむ。