「歌詞改変問題」続報

「おふくろさん」に注意

 日本音楽著作権協会JASRAC)は7日、歌手森進一(59)の代表曲「おふくろさん」について、作詞者の川内康範さん(87)から「歌詞に意に反する改変があった」との通知を受け、改変後の「おふくろさん」の利用は許諾できないとする異例の注意をホームページに掲載した。改変後の曲は森も含め、歌えなくなる。
 「おふくろさん」は71年に発表。森は70年代半ばから歌い出しの部分で、原曲にはない語りを入れるようになった。今年2月、川内さんは記者会見を開き、昨年大みそかのNHK紅白歌合戦で森が「おふくろさん」に無断で語りふうの歌詞を入れて歌ったと非難。森に「もう歌わせない」などと宣言した上、JASRACに改変の事実を伝えた。
 これに対し、森側は「約30年前から語りを入れており、了解は取れていると考えていた」として、「おふくろさん」の歌唱を自粛。川内さんに謝罪の意向を申し入れている。
 JASRACは「改変されたバージョンを利用すると、著作権法で定めた同一性保持権の侵害その他の法的責任が生じる恐れがある」などと注意を喚起。語りの入らない「おふくろさん」は、従来通り利用できるとしている。

[2007年3月7日13時57分]

「許諾できない」つったって別に刑事罰が派生するわけでもなし、権利者(川内センセ)に見つからなきゃいいんじゃね? てな発想をしてしまうのはよくないですかそうですか。まあ堂々とテレビや舞台で歌うのは難しくなるだろうけど、もし「やっちまった」ときはどうなるんだろう。利用許諾違反って具体的に誰がどう動くんだろう??


冗談はさておき、この問題はいろいろ考えさせられるのである。今の常識的には、作者を無視して作品に手を加えるのはもってのほかということなんだけど、アノニマスなトラッド歌などでは歌い手が勝手に手を加えるのはあたりまえであり、だからこそ、うたは百年以上もの寿命を得てきたのである。
しかし、そこに経済原理が介入すると話はとたんにややこしくなる。つまり、「著作権」縛りを厳密に考えると(著作「権」というか「この歌はオレが作ったんだからオレのものだ、誰にも手を触れさせねぇ」的意識が強くなると)かえってその作品の寿命は短くなってしまう可能性が高まる。…いや、「経済」のせいではないのかもしれないが、「この作品はオレのもの」という意識は「それがカネになるから」という現実と表裏一体のものでもあるはずだ。まあ、場合によっては「カネの問題じゃねえ、名誉の問題だ」なんだろうけど(今回の場合はひょっとすると「カネの問題じゃねぇ」派かもしれないが、人は往々にしてこういうときこそ「カネの問題じゃねえ」と啖呵を切るものでもある)。


とまれ、人生は短く、芸術は長い…この言葉が成立するためには、むしろ「作者名」など余計な足手まといにすぎないのかもしれない。いや、暴論承知ですが。