メディアとオリンピック

 そうした「興味がない」という言葉が生産されるほどの威力を備えたオリンピックの空気を支えているのは、メディアがいささか強引にでも盛り上げようとしている姿勢なのではないかと私は睨んでいるのである。しかし、もしもこの認識が正しいとすれば、それはきわめて悲愴的な光景であると思うのだが、もう後戻りはできないだろう。

テレビを見ない生活になったら、オリンピックがまるきり視野から消えた、という話。
日本人の五輪熱が高いのはメディアによるものという指摘はその通りだと思うが、そういうメディアに育ててきたのは他ならぬ我々視聴者でもある。「我々」の中に「私」を含めるな、という声もあるかもしれないが。
 
私の場合を考えると、熱心にテレビ情報誌を買うのは4年に1度しかない。つまり、冬季五輪を見るためである(夏は見ない)。それ以外の3年と、五輪イヤーの開催期間をのぞく日々は、テレビをほとんど見ない。たまに野球中継と「探偵!ナイトスクープ」を眺める程度で、それもとくに熱心でもないから、たかが知れている。
なんで冬季五輪がそれほど好きなのかと問われても困る。音楽が好きとか漫画が好きとかいうのに理由がないように、私は冬のオリンピックを見るのが大好きなのだ。そして、現地に行けない身としては、テレビが唯一の拠り所なのである。テレビ中継がなかったら、本当に困る。ひとつの趣味がまるまる消えてしまうからだ。
 
ところで、民放のタレント総出の五輪番組は「スポーツ番組」ではなく「バラエティ」だし私は一切見ないからどうでもいい。むしろ、騒がしいだけでみっともないとも思う。
だが、なぜスポーツ中継がこうまでバラエティ化しなければならないのか。民放のディレクターのセンスが、あまりになさ過ぎるのか? いや、そうでもあるまい。ということで、ちょっと仮説を立ててみる。
今やオリンピックは、歩行と思索さんが指摘されているように

もしかしたら、オリンピックは騒がないと維持できない代物と化しているのではないか

つまり、あまりにカネがかかりすぎるコンテンツになってしまっている。
 
巨額の費用がかさむビジネスの場になってしまった
     ↓
とてもじゃないが今のNHKでは放映権料をまかないきれない
     ↓
そこで民放がタレントじゃんじゃん使って品のないバカ騒ぎを演じる
     ↓
結果的にNHKの視聴率および存在価値が高まる
     ↓
NHKの受信料を払う人が増える
 
…という遠大な作戦とみたが、どうか(笑)。
 
―――いや、冗談ですってばぁ。