全てにおいてそうかもしれない

 「このままでは日本のカーリング界は危機的な状況を迎えます」と語るのは、トリノ五輪のテレビ中継でカーリングの解説を担当し、競技の魅力を存分に伝えてくれた小林宏氏だ。

アジア各国に国家レベルで強化策を取られたら、日本など今後はたちまち撃破されるだろう、という話。
これはことカーリングだけでなく、スポーツ、いや他の文化政策や経済戦略を含むあらゆるジャンルにもあてはまることだろう。しかし掛けられる予算に当然限りはあるわけで、どこにどう効率よくカネをかけられるか、効果的な「国威発揚」が果たせられるかが施政者のセンスなんだろう。
しかし…と思う。カーリングをそういう政治的な場に持ってくることを、カーリングファンは果たして望んでいるのかどうか。
すくなくとも、トリノチーム青森の奮闘ぶりに拍手した多くのミーハーファンは、快く思わないのではないか。トリノ五輪以後にわかにカーリングがブームになったが、それは選手のみせた純粋に競技を愛する心情に打たれたからではないかとおもう。商業主義とも政治的ななにかともおそらく無縁なように見えたからこそ、純真な(笑)2ちゃんねらーをはじめたくさんの人たちが熱心に支持したのではないか。

スポーツ/オリンピック/アマチュア精神…ここいらあたりはなかなか難しい問題を孕んでいる。特に、なぜ日本でここまで「アマチュア精神」が絶対視/神聖視されるようになったかはきちんと検証していく必要がある。かつての「美しき」日本的精神と五輪大会の現状とのギャップに、もっとも苦しんでいるのは、おそらく選手たち自身だろう。その矛盾にどう折り合いをつけるか、監督やコーチの苦悩と模索は、まだ当分続くような気がする。