市川昭介さん
「涙の連絡船」「さざんかの宿」など数多くのヒット曲を手がけた作曲家の市川昭介(いちかわ・しょうすけ)さんが、26日午前5時、肝不全のため亡くなった。73歳。
告別式は近親者のみで行い、お別れの会が10月10日午後2時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で行われる。
連絡先は同区六本木1の4の33のコロムビアミュージックエンターテインメント。喪主は長男、昭太(しょうた)氏。
福島県出身。18歳で上京し、作曲を独学。コロムビアレコードの専属となり、1961年、島倉千代子さんの「恋しているんだもん」で作曲家デビューした。
64年、15歳で歌謡コンクールに優勝した都はるみさんを内弟子に迎えて、「アンコ椿は恋の花」で歌謡界に送り出した。その後も、「涙の連絡船」「大阪しぐれ」などの名曲で都さんを一流歌手に育て上げた。
それぞれの歌手の個性をうまく引き出した親しみやすい旋律が特色で、大川栄策さんの「さざんかの宿」や、五木ひろしさんの「細雪」などのヒット曲を次々と生みだした。
また、TBS系「家族そろって歌合戦」などテレビの歌番組の審査員を務め、優しい口調の講評で広く親しまれた。96年に紫綬褒章、2004年に旭日小綬章を受けた。(2006年9月26日19時54分 読売新聞)
丹波哲郎さんもそうですが、またひとつ、昭和が遠くなりにけり。