かぐや姫の物語

観てきた。(2013年/高畑勲監督作品)

原作はとうの昔に読んだ記憶がある(ただし原文ではない)。星新一訳の角川文庫も持っていたはずだが、いま部屋の中を探してもどうにも見当たらない。まあ、またいつかふらっと出てくるだろう。
原作ではたしか、最後に形見の品を富士山で焼くシーンがあったと思う。この場面は後世に付け加えられたもの、という解説を読んだ気もするけど記憶違いかも。いずれにせよとってつけたような蛇足だなあと思っていたので、映画ではカットされていたのは良かった。タイトルのように「姫の物語」なんであって「竹取の翁の物語」ではないから、これでいいのだろう。
さて、その「物語」は地上の人々を救済せず、ただ嘆き悲しむ老夫婦をはじめ登場人物を置き去りにしたまま、いきなり終わる。姫の心さえぷっつりと閉ざされ、別世界の人となったまま、観客をも置き去りにする。日本の昔話にかぎらず、多くの説話や神話は、往々にして「不思議な出来事」を不思議な状態のまま、ぽーんと放り投げて終わるものだ。謎をすべて解説したり首尾の結構を付けたがるのは近現代の所業であって、「物語」に必ずしも必要な要素ではないのだろう(ここしばらく就寝前に落語をよく聞いているんだけど、あれもストーリーがどこかへいったまま唐突にサゲになる噺がときどきある。たとえば米朝十八番の「地獄八景亡者戯」なんんかだと場面毎に登場人物が入れ替わり、ひとりの主人公が最後まで活躍するタイプの物語しか知らなかった子供のころ、あれを聴いてひどく混乱したものだった。今だとそれはそういうものだ、と納得できるんだけれども。そういえば、映画館を出る際に親子連れが「複雑な話だったねえ」という意味のことをしゃべっていて、「こんなにシンプルなストーリーなのに」と訝しく思ったんだけど、なるほど老夫婦と同じくわれわれ観客も悲哀の絶頂に取り残されてエンディングとなるので、「何かすっきりしない=わかりにくい」と感じるのも理解できないことではない)。

以下アトランダムに。
●ヒロインの横顔が、時折ハイジに見えたりチエちゃん(あるいはヨシエはん)に見えたりする瞬間があって、ああ高畑映画なんだなあと感じた。
●ハイジと言えば、教師役の相模がロッテンマイヤーさんに思えてしょうがなかったんだけど、声優さんは確か違う人だよねえ?
●クライマックス、天からのお迎えの際に楽団(?)が音曲を演奏しているんだけどありがちなワールドミュージック風なので思わず笑ってしまった。あえて言えばケルト風味? いやまあ、その手の音楽はけして嫌いではないんだけど、あの場面に合っていたかと言われるとうーん…。
●3D作画が少し違和感を感じたけれども、それ以外はなかなか美しい画面だった。登場人物の所作や労働作業が丁寧にアニメートされているのを観るのはたいへん気持ちが良い。こういうなんでもない日常の芝居こそ、今となっては実写ではなかなか難しいのかもしれない。
●牛車がたくさん出てきて帝もおわす都、ということで平安時代の京都が舞台とみていいのだろう。ということは前半の舞台である山はどこらへんかな? 姫がいちど都から逃げ出す場面があって、鴨川あるいは淀川沿いを南へまっすぐ走っているように見えたので、竹の産地とすれば乙訓あたりになるんだろうか。ただしそうだとすると月の位置がおかしいとは思うけど(昨年放送されたテレビアニメ「有頂天家族」のクライマックスでも、月の位置が現実の京都ではありえない方角にまんまるく現れていた)。まあもとよりフィクションなのでそのへんはまったく問題ないんだけれども。
●キャラの中では女童がかなりいい。表情といい、数えるほどしかセリフがないけどしゃべり方といい、まことに良い味。彼女からはヒロインはどう見えていたんだろう。スピンオフというか二次創作というか、誰か作らないかな。