「漫棚通信」賛江

いや、すごいです。ここのところのエントリにはどれも圧倒されっぱなし。
 
「大学漫画」にサラ イネスさんのインタビューが載ってると教えてもらったのもここですし(熱烈感謝。豆ゴハン文庫版、続刊出そうにないですねえT_T)、「月館の殺人」後半に向けていっそうワクワクさせてくれたのもここですし、そしてついに政治がテーマに。キタコレ、てなものです。
 
 
ポリティクスな話題として、私のオモテブログでは先日<いわゆるモダンデザイン>と戦争の関わり合いを問題提起しましたが、来年の8月15日には梶井純「執れ、ようちょう(漢字を探すのが面倒なのでココはかな書きで代用)の銃とペン」(ワイズ出版・1999年)をネタに、マンガと戦争についても考察しようかなと思ってました。けど、この本については私が書くよりも漫棚さんに取り上げてもらった方がよさげ鴨(と、さりげにリクエストしてみたりする^_^;)。
 
最新エントリでの、<マンガは感情に訴えることも理論的に展開することも可能>なメディアだという指摘には唸りました。私ごときが尻馬に乗って付け加えると、おそらくは夏目房之介さん以前には、マンガそのものよりも「マンガ評論」の方がずいぶん感情的/政治的だった時期が長かったと思うんですが、いかが(石子順三と石子順がいまだにごっちゃになる私が言うのもナニですが)。上述の梶井本なんかもその一例で、ずいぶん期待して読み始めたのに、最後の方はかなりうんざりして読み終えた記憶があります。
 
政治を<感情抜きに>語るのは難しい。いわんや<戦争>においてをや。
読み手のオノレのイデオロギーを声高に表明するのが善とされていたのが昭和の批評界ならば、平成のそれは、どちらかというとよりニュートラルな立ち位置が好まれているような、そんな気がします。平成のっていうより、21世紀のっていうか、いや、いっそ9.11以降っていうか。ま、要はバランス感覚ってことなのかもしれませんが。
そのあたり、漫棚通信さんのセンスは非常に素晴らしいと、私なんぞは一方的に惚れ込んでおります。こういう文章が書ける人は、純粋に非常にウラヤマシイ。ずっと読み続けますので、今後もよろしくお願いします。