選挙とかフォークロアとか

投票率、70%は行かなかったようで。
ただ、投票所はいつもより人が多かったような実感はある。それと「一家揃って来ました」って感じの人たちは、これまであまり見なかったような。
夜の特番はほんのわずかしか見ていないが、たまたま映った画面で亀井静香が逆ギレしていて不愉快だった。
 
 
 
話は全く変わるが、いわゆる<のまネコ>問題。
私のつたない理解では、これは「法律上は無問題、ただし道義上はどうなのよ」というあたりが論点なんだろうか。
2ちゃんねるの関連スレではいろんなたとえがあげられているが、たとえばドラえもんミッキーマウスを<インスパイヤ>したらどうなんだ、とかいうのは筋が全く違う。もちろん摘発されるに決まってるでしょ。
誰でも知ってるもの、たとえば「へのへのもへじ」や「桃太郎」あたりを例に出す人もいるが、私はこれも少し違うのかな、と感じる。「日本人の多くが知っている」点ではへのへのもへじと似ているかもしれないけれども、今回の場合、モデルとなったAAには<地域特性>みたいなのが濃厚なのが大きな差だと思う。つまり、それなりに一般的だけど、中でも特定のコミュニティ内においては、まるで自分の分身のように深く愛され続けてきた、ということ。ここが重要。
どこかの関係者サイトだかで「AAはパブリック・ドメインというよりフォークロア」みたいな指摘があったように思うが、これはなるほどな、と思った。この問題の本質が、「フォークロア」のひとことでわかったような気がした。
 
当事者の一方が音楽産業ということもあるから、ここで私なりのたとえを書こう。
非常にドメスティックな音楽、たとえば、沖縄民謡あたりを思い浮かべる。特徴ある、誰が聴いてもそれ琉球だよね、とわかるメロディラインを、ある日突然「(インスパイヤされて)私が作曲しました」と名乗る人物が中央から現れたら、沖縄音楽ファンはあまりいい気はしないだろう。しかもその<著作権者>の口からは、沖縄音楽に対するリスペクトがなにひとつ感じられないとなったら、やっぱり反発し小馬鹿にもするだろう。おまえナニサマのつもりだ、と。大手資本の参入が、琉球音楽のよさを広めることにつながるならまだいいんだろうけど(膨大な『電車男』商品群が最終的に認知されたのはコレ)、単に搾取されておしまいじゃねーか、という危惧(今回の反応はコレ)をいったん抱いてしまうと、不信感が募るばかりになってしまうだろう。そして、一度生まれたそんな「偏見」を完全にぬぐい去ることは、よほどのことがない限り、なかなか難しい。
 
 
音楽業界では、たとえば<ワールド・ミュージック>ブームなんかはこういうやり方で作られてきた面がある。琉球もどきだけじゃなく、なんとなくアラブ風だとかケルトっぽい雰囲気だとか、限りなく怪しく胡散臭いポップスが星の数ほど作られ、消費されてきた。もちろん日本だけでなく、欧米メジャーが率先してやってきた手法である(<ワールド・ミュージック>ムーブメントの発端は、1970年代末期〜80年代初頭の、パリだったかロンドンだったか)。
その同じ方法論を、今回もレコード会社は踏襲しようとしたんだろう。というより、彼らの論理ではそれが「常識」だったんじゃないか。だからこそ、まさかネット内部からここまでの反発を食らうなんて、まったくの想定外だったんじゃなかろうか。
 
この騒動で何かが変わるのか、あるいは結局何も変わらないのか、それはわからない。騒ぎのもとになった特定掲示板(2ch)の中だけで話を収束させる方がいいのかどうかも、私にはにわかには判断できない。
ただ、いまはJASRACを含む音楽著作権/利権ビジネス全般に不信の眼が注がれていることだけは間違いないので、「いままでのギョーカイの常識」がこれからも変わらず通用すると思っていたら、時に大けがをしかねないことだけは確かだろう。