そうそう、切実です

全体的な傾向として現時点では、孤独死は高齢者の問題というより、中高年男性の自殺などと関連しているようだ。極めて男性学的な問題にも思える。
 フェミニズムが女性学であったかどうか私はわからないが、いずれにせよ社会に根ざした性差がもたらす不平等の構造的な解明を求めたものであれば、同じ理論の枠組みからこうした中高年男性の孤独死について性の問題から説明しうるのではないか。しかし、私はそうした説明の試みを知らない。

 
自分の最期を想像するに、孤独にくたばっていく姿しか思い浮かばない。
そういえば、これまで買い集めた本やCDやビデオの山を眺めながら、ああ、こいつらが意味のないがらくたに変貌するのもそう遠くないんだろうな、と、最近やたらに思うようになった。メメント・モリ
 
死が怖いのではない、と思う。そうではなくて、自分の死(というか一生)を、自身の責任において全うさせることが非常に難しい、そんな絶望感が怖いのだ。
借金の整理から私物の処分まで、自分の元気な間に全てをきっちり片づけておくなんて、たぶんできっこないだろう。というか、そこまでやっちゃったら、あとはもう心おきなく自殺するしか道は残ってないだろうな。そこで仙人にでもなれればいいんだけどさ。
 
と、話がややアサッテの方向に行っちゃったけど、「中高年男性の孤独死」が「性の問題」と関連しているという、この指摘は鋭いと思う。中年男性といえば、買春からセクハラまで、あらゆる猥褻事件が毎日欠かさずニュースになっていることも見逃せない。
 
おっちゃんたちは、毎日、とことん追いつめられてるんだわ。んで、女の子にこんな話をしても、誰も共感も理解も同情もしてくんないんので、さらに追いつめられる=思い詰めるワケ。で、いったい、何に追いつめられているのか? 性的幻想? うん、それもあるな、間違いなく。
…いやはや、哀しい生き物だなあ。