「のど自慢」がわからない

さっきNHKテレビで「のど自慢」60年の歴史、とかいうのを少しだけ(最初の方だけ)見た。
どうも私には、のど自慢がわからない。というか、あれに出たがる人のメンタリティがさっぱりわからないのだ。
放送前日の土曜日に予選会があり、本番と同じ会場同じセット同じバンドで、出場する方も本番さながらに気合いを入れて(衣装も含め)頑張って歌う、わけだ。そこからわずかな人たちだけが選ばれて、晴れて翌日の全国放送、となる。
その予選会の模様も、番組では紹介していた。なんなんだこのエネルギー。この情熱。
テレビに映る、ということが、なんでこれほどまでに多くの人たちを夢中にさせるのか。私にはそのへんが、本当にまったくわからないのである。
歌いたかったら、別にカラオケボックスで充分じゃん、とか思うんだが、どうもそうではないらしいのだ、世間では。
そういえば、私のよく利用する私鉄の駅前では、ギターを持った若い人がよく歌ってるし、あるいはラジカセを持ち込んでダンスの練習とかやっている。
練習場所が他にないのかというとそうでもないだろうし、端的に「不特定多数の誰か」に向けて聴いてもらいたい・観てもらいたいという欲求がそうさせているんだろう。それはそれで、わかる気がする。
でも、そういうのと、テレビで全国放送というのと、ワケが違うだろうと思うんだが、そうでもないのかな。
そういえば、ふと思い出したが、私が大学生のとき、昼頃ゼミの部屋に行ったらテレビカメラが入っていて、びっくりしたことがあった。若手落語家がマイクを持ってそこに立っていた。何の番組だったか、関西の民放テレビの、若者に人気の深夜バラエティ番組用の取材だったと思う。
私はその日、わりと上機嫌で学校に行ったんだけど、その光景にでくわして一気に不機嫌になった。テレビうぜー、である。
カメラに映らないよう注意して部屋に入り、取材が終わるまで隅の方でお茶を飲んでいた。取材スタッフが撤収したあとも、終始不機嫌だった。
なんでテレビをこんなに毛嫌いする必要があるのかも、実はよくわからない。とにかく、私はテレビが大嫌いなんだということだけは確かである。

のど自慢に話を戻すが、たとえば私の親とかは、毎週日曜昼のあの番組を欠かさず観ている、はずだ。私はゼッタイ観ないのだけど。
なんで観たくないのか、観ないのか、その理由は自分ではわからない。ましてや、出場する人たちの気持ちなんてわかるわけもない。別人種か、少なくとも別の文化圏に属する人たちだろう、とさえ思ってしまう。
私の方が、おそらく、「ちょっと変わってる」んだろう。それはそれでいいんだが、なぜ「ちょっと変わってる」のか、その理由を誰か明らかにしてくんないかな。その辺は自分でもぜひ知りたいと思う。