遺すということ

昼間、昼飯を食べながら読む本をさがしに職場近くの八重洲ブックセンターに入ったら、松岡正剛の『千夜千冊』が徹底改稿・加筆されて、求龍堂から全七巻の紙の本で出るというチラシが置いてあって、驚いた。家に帰って調べてみると、ネットでもたしかに告知されている。どうやらもう買えるようだ。

仲俣さんはコテンパンにお書きで、その論旨にはおおむね共感もするのだけれども、そこまで青筋立てて批判するほどのことでもないんじゃないかとも思った。要は、手に取って直に触れて持って重さを実感できる、そういう「カタチのあるモノ」として遺しておきたかっただけのことではないか。人間、トシをとるとそういう気分になることもあるんだろう。なにせ、たとえこの世から電気がなくなってしまっても「本」なら読めるからなあ。世代的にもまあ妥当だろうけど、根っこのところでコンピュータ文明を信用してはいない、とも言えるかもしれない。


9万円近いという価格からして、ショーバイ目的ではないのは明らかで、ほとんど私家版に近い性格のものだろう。チラシやネットを通じて広く一般にも販売告知したという一点がアレかもしれないんだけれども、まあ、仲俣さん言うところの「正剛カルト」向けのメッセージ(全国に散らばっているだろうし)ということで、関心ない香具師は華麗にスルーが吉、でいいんじゃないかとも思う。


…遊びに行った友人の家にこのセットがずらっと並んでいたらちょっとびっくりするだろうなあ。おそらく手も触れさせてくれないかもしんない。汚れるからダメ、とか言って(笑)。そうなりゃコーヒーテーブル・ブックもいいとこですな。
ま、これを買いそうな友人なんて私には心当たりが全くないから、どーでもいいんだけど。