ひとは他人の傲慢さを許容できるか

私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。

まぁ、共感も理解もされにくいだろうな。本人もそれを望んでいる風ですらあるし。
そもそも猫殺しをカミングアウト(って言っていいのか)した動機というかきっかけはなんだったんだろう。贖罪意識? うーん、なにか違う気もする。
なんにせよ、後味の悪い話ではある。

(2007年2月13日追記)
贖罪とかいうんではなく、どっちかというと破滅願望・自死願望なんだろうなぁと思うようになった。仮に「猫殺し」カミングアウトが誰からも反応されずあるいは多くの共感を呼ぶようなことなっていたならば、この人はさらにもっと行為をエスカレートせざるを得なくなっていたにちがいない。ある意味でそれは彼女をもっと酷いところに追いつめることにもなる。だから、この件に関する世間の反応は、彼女にとっても非常によかったことなんだろう。ところでこの件、その後をとんと聞かないのだが、どうなったのかな。