感想文


学校の宿題用の「読書感想文」は私にはわからないのでここでは触れない。ブログで何らかの「感想」を書く場合のことを書く。ま、早い話がブログに感想文は不要だよって話なんだが。


ブログはまず「ウェブ=ログ」であったはずで、自分の経験したこと感じたことをウェブ上に記録(ログ)しておく場、というだけで十分なはずだ。面白かっただのつまらなかっただのという「感想」は、だからあってもなくてもどちらでもよい。何年何月何日に、自分が何を見、なにを読んだか、その記録の連続がブログである。
食べたものを淡々と記録するとかそういうのがあったけど、あれです。
しかし、往々にして、人はそれだけでは満足しない。感想を書いたり、論評を加えたり、なんらかの「自分の痕跡」を遺そうとする。しかし、それって要は「ええかっこしい」(自分に対しても、ブログを閲覧する第三者に対しても)なだけであることを自覚しておくべきだろう。
カシコクみせたいとか、スルドイ意見を書きたいとか、そんなことを思っているうちは、実はろくな感想文など書けない。これだけはどうしても書き残しておきたい、と思えるなにかがあるかどうかがポイントなんである。学校の宿題とブログのレビューとはそこが違うのだが、そのへんをごっちゃに考える人もいるようだ。何をどう書いても赤点もらうこともないんだから「あー面白かった」だけの連続で十分なんである。なのに「「面白かった」だけでは書いている方も飽きるのでは」などという人もいて、余計なお世話というか考えすぎというか、学校教育的思考にどっぷり浸かってる人なのかなあとも思ってしまう。


以下、ブログでなにごとかのレビューや感想文を書くとき、自分で気をつけていること。
・スペックをなるべく提示する
 対象が本なら書名/著者名/出版社名/ISBN/発行年など。私は書かないが定価もあればいいかもしれない。私のブログでは書影も掲載するので、装丁者名も併記している。対象の事実を記録(ログ)しておくこと、これが基本だと思う(逆に、どんなにいい内容でも、基本スペックの載っていないレビューは残念だなと思う)。
 舞台や映画や美術展などのイベントでも、開催期日や開催場所、そのなかで自分が見に行った日にちや場所などはできるだけ記録(ログ)しておく。


・第三者に説明するように書く
 本でもそうだが、舞台でも美術展でも、実際に見てない人の方が圧倒的に多いわけで、そういう人に向けて「このコンサートはこういう進行でした」ということをレポートする。これも記録(ログ)。第三者と書いたけど、むしろ将来の自分に向けて書いていることの方が多い。なにせ半年か一年もたてば、すっかり忘れてしまうんだから。
 なので私は自分のブログはほとんど読み直さない。1〜2年くらい前のエントリは読み直す。で、へええ、こんな展覧会を見てたんだねえ、などと他人事のように感心したりする。ブログの効用とは結局、未来の自分に向けての覚え書き程度でしかないのである。


・書いた感想や評価を信用しない
 他人のブログでもそうだけど、自分が書いたものでも、それはたまたまそのエントリを書いた瞬間の評価であって、翌朝になればまったく正反対の感想をもっても別におかしくない。
 何度も経験があるのだけれども、クソミソにけなすつもりで書き始めて、エントリの終わり頃には結局絶賛してるじゃん、という場合がある。書いているうちに思考がどんどん変化していって最初と最後で主張が真逆になっちゃうのだが、こういうのって他の人は経験ないんだろうか。
 文章を書くというのは、ぼんやり考えていることをはっきりとしたカタチにするということだ。カタチにしていく過程で、自分では気づいていなかった視点や思考が急に姿をみせる瞬間があり、それが面白いので私はブログをやっているようなものだが、往々にして自分が文章に引っ張られていくことがある。そういうとき、当初想定していた結論とまったく違う結論の文章ができあがってしまうのである。こういう経験は誰もがあると思うんだけど、ないのかな。
論旨が混乱したままアップするときもあるし、当初想定していた結論に合わせて文章を書き直す場合もあるし、ケースバイケースでいろいろなんだけど、どっちにしろ「書き上がったモノ」はその瞬間の一発芸みたいなものである。恒久的な評価でもなんでもないし、ましてやすっかり信用することなどできない。
ブログは、そういう「その瞬間の一発芸」の集合体でいいのではないか。それを一定期間続けていけば、その積み重ねがやがて別の価値をもつこともあるかもしれない。ないかもしれない。
それと、書き上がった感想や評価に自分が引きずられてもダメ。陶芸家が焼き上がった器を次々割り捨てるようなもので、できあがったモノはどんどん自分でダメだししていけばいいんである。


くりかえしになるが、「その人」が「そのとき」にチョイスした「モノ(本、音楽、ステージ…etc)」の記録の集積。ウェブログにもしも価値があるとすればその「集積」にあるんであって、批評とかの内容そのものはどちらかというと二の次である。ブログなんて所詮そんなもの…というか、それ以上でもそれ以下でもない。