大掃除が止まらない

年末からの大掃除が止まらなくなった。ふだんこまめに片づける癖をつけていればなにもここまで大がかりな事態にならずに済むのだが、なにせ面倒なことはつい後回しにしてしまう性分なのである。
また使うかもとぼんやりしまいこんでいた大型家電を処分し、勿体ないと溜め込んでいた段ボール類をひとまとめにし、そのうち読み返すつもりの本をどんどんブックオフに運び、雑誌をごっそり紐でしばる。ひとつ始めればあれもこれも気になり出し、結局休日のほとんどの時間をその作業に費やすはめになった。きりがない。
それで部屋が広くなったかといえば、何も変わらないでのある。なに、それまで床に積み上げてあった本をようやく書棚に差しただけで、つまりは正常に戻りつつある、というだけである。これまでがあまりに異常だったのだ。
今年も相変わらず本を買うことだろう。CDやDVDもまだ増えそうだ。せめて、今ある書棚のスペース内に収まる程度にまでは、全体のボリュームを一定にしておきたいのだが、現時点でもまだ溢れている。


本当のことをいえば、理想は「何もない部屋」である。がらんとした空間にテーブルと椅子があって、椅子の上にいちばん好きな画集が一、二冊。
しかしなかなかこういうふうにはいかぬ。


収納スペースが足りなければ拡張すればいいじゃない、という考え方は一理ある。人手が足りなければどんどん雇え、その分業務も拡張するぜという、高度成長経済型の発想だ。
それに対し、自分の書棚はこれ一本と決め、そこからはみ出る本はどんどん捨てていく、という考え方もある。そこに入る本は常に取捨選択の厳しい目にさらされる。厳選に厳選を重ねた書棚だ。
現在の私の心境はこちらに近い。数年前までは、とにかく拡げる方向だった。いつか使うから、またそのうち読み直すから、という理由で、どんなつまらぬ本も捨てられなかった。本だけでなく家電製品のカタログやパンフレットのたぐいまで「資料」と称して後生大事に抱え込んでいた。


けれど、もう、いいだろう。読まない本はいつまでたっても読まないし、古いカタログを見て喜ぶ趣味も持ち合わせていないことははっきりしている。
実のところ、まだあと半分くらいにまで蔵書を絞れると思う。いや、今の勢いでは本当にやりかねない。それですぐあとから後悔するんだろうな、という気もする。
何もない部屋に机と椅子と画集一冊はたしかに目標だが、それを現時点で実現してもしょうがない。死ぬ間際にそうであればいちばん理想的、というだけである。
今後も新しい本は買う。DVDも買う。家電製品や家具も買うだろう。衣服も靴も鞄も買うに違いない。新しいものを買って、なお全体の量を少しづつ減らしてゆくこと。今年の、というより今後の生活態度はそういう方向に向かっていくことだろう。


ま、そのためには、日々こまめに「始末する」習慣をつけることがいちばん手っ取り早い――とはわかっているんですけれどもねえ。