ROBOT

 本日より一般公開。初回を見てきた。例によってネタバレ上等の感想を気の向くままに。
 
 
 
 ツイッターの方に「プロットは手塚治虫メトロポリス』」と書いた。世界最高峰の人造人間だが人間の感情をプログラムされてしまったため暴走し、大量殺戮兵器と化し街を大混乱におとしいれる。最後にはなんとか倒されるが最後の最後に生みの親の博士と無事和解するも、人類のためにはならないということで存在が許されないものに…というのがおおまかなストーリー。観終わったあと、アトムに似たような話がなかったっけ、と思い起こすうちに、ああそうか、メトロポリスのミッチイがいたじゃないか、と思いついたのでツイッターにそう書いたのだ。たしかあの漫画のラストは太陽の黒点によってミッチイの身体が溶けていく、凄惨なものだった。『ロボット』の方は溶けこそしないが、ある意味でもっともっと残酷だった(詳しく書いてもいいが自重しておく)。
 
 
 この映画の主人公には、アシモフのいわゆる「ロボット三原則」は搭載されていない。そのことについては、わざわざ映画中に言及があった。軍事用として開発されたロボットだから(人間を殺傷するのも仕事のうち)、という理由がそれで、それで劇中のなんとか委員会の承認審査が通ってしまうのはさすがインドというべきか。しかし満を持して軍当局に連れて行ったら当のロボットはすでに恋に夢中で、愛と平和を訴えるというオチには笑った。
 アトムとの関連でもうひとつ思い出した、「ロボットは感情をもたないから不完全だ」という意味のことを言ったのはスカンク草井だったっけ、その通りのやりとりがここでもあって、そのためにロボットが博士の恋人に横恋慕してしまい、拒絶されて絶望→悪人の手に落ちることになるのだが、このへんのストーリーも手塚っぽい。メトロポリス+来るべき世界+鉄腕アトムあたりのテイストがいっぱいだ。ていうか、こう書いていくと手塚治虫ってやっぱ凄いなあ。
 この映画、主役をラジニカーントが演じなければならないものなのかどうか、そのへんはよくわからない。なにせわたしは彼の主演作は他に『ムトゥ 踊るマハラジャ』しか見ていないし。ま、この映画での彼は悪役を楽しそうにやっていたのでそれでいいのだろう。しかし、博士とロボットの二役で、世界最強ロボットの外見を自分そっくりに造るって発想はどうなのよ、とか思ったんだが(お茶の水博士がお茶の水ロボットを造るようなものだ)、「自分ソックリ」の必然性も映画のなかでちゃんと消化していたのには感心した。ご都合主義であれなんであれ、いちおう話の中で首尾が一貫しているから、見ていてあまり不満はないのである(もちろん突っ込みどころはたくさんあるがそれとは別)。これはやはり「脚本がしっかりしてる」ってことでいいのかな。とかくアクションシーンの派手さとか、凝りに凝ったVFXとか、絵としての見せ場にこだわるわりに肝心のストーリーが貧弱な(というか話を広げっぱなしで上手に畳めていない)映画とかはよくあるが(たとえばこの前観に行った『テルマエ・ロマエ』もそのひとつ)、この作品はそのへんうまく整合性をつけていたように思う(あくまでご都合主義てんこもり、と言う枠組みの中において、ではあるけれども)。
 
 
 不満といえばやはりミュージカルシーンが少ないことで、聞けば日本公開版はミュージカル場面をふたつ削っているのだそうだ。長くなるからというのがその理由だが、マチュピチュでロケしたというシーンとか大画面で観たかったなあ。
 実は、本編にはちゃんと「インターミッション」があった(日本版ではそのテロップが出てすぐに後半に入ったため、実際の休憩時間はなかったが)。インターミッション付きで上映すればトイレが近い人だって無理なく観られたはずだし、どこかで完全版を上映しないかな。ま、ブルーレイかDVDソフトでもいいんだけどさ。