嘘をつく人、つかれる人

 嘘ニュースサイトの記事が事実と間違われて一部で大騒ぎになったとかならなかったとか。
 ていうかあのサイトには、つねづねお怒りの方々が少なからず存在していたらしい。
虚構新聞が「橋下市長、小中学生にTwitter義務化」記事について謝罪 (ねとらぼ) - Yahoo!ニュース
はてぶ: http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120514-00000084-it_nlab-inet
→[NS] いい加減、虚構新聞はタイトルに虚構新聞だと明記しろ
はてぶ: http://b.hatena.ne.jp/entry/n-styles.com/main/archives/2012/05/15-050000.php
 はてぶコメントを眺めてると、どっかのIT会社がやってるサイト/サービスと思ってる人が中にはいるようだが、ここはたったひとりで運営している個人サイトのはず。個人サイトだから擁護するってわけではないけど、この手のジョーダンに厳密性を求めたってしょうがないでしょうに。だいいち、Twitterの炎上は単にそっちのシステムの問題ってことじゃないのか?

 で、当のご本人の弁→http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/

正直言うと、ここまで拡散するとは思わなかった。自分で自分の記事を評するのも変かもしれないけど、この記事ってそこまで大した記事とも思えんのですよ。(…)今回「お詫び」を出したのは、このまま変に拡散していくと関係各方面に迷惑をかけかねないから。(…)
しかし、いつも思うのは「風刺」とは何か、ということ。「風刺としてレベルが低い」という批判なら甘んじて受けるけれど、政治や社会を皮肉る言説自体が受け入れてもらえないというのであれば、それは残念なことだなって。
(…)
まあでもしかし、今回軽い騒動みたいになってしまった結果、今後自分の書きたい記事が書けないようになることだけは避けたいので、しばらくは大人しくしておきます。読者が増えるのはうれしいことだけど、扇情的な記事で衆目を集めるのは本意ではありません。それではゴシップ誌やイエローペーパーと変わらない。
虚構新聞はまごうことなきクオリティペーパーなのです。

 自分でクオリティペーパーと名乗るのかよ(笑)とツッコミ入れたいところではあるし、全体に火に油を注いでる物言いなんじゃ、という気はしないでもないが、まあこれがこのひとの持ち味なんでしょう。まあ、ここが大騒ぎになるのはこれが初めてではないし、ある程度は慣れたものなんだろう。


 炎上マーケであろうがそうでなかろうが、注目を集める記事を書いたり賛否両論が激しく飛び交うウェブサイトを作ったり運営していくのは、とてもじゃないが自分には絶対できない芸当だ。わたしなんかはブログもツイッターでも、フォロワーが増えてくると、いかにそれを減らすかついつい考えるからなあ。そうでなくてももめ事は避けたいので、ネガりそうなネタとかなるべく当たり障りの無いようにばかり考えるもんなあ(そんでもって大半はボツにする)。それほど人目に触れたくないのなら、素直にプライベートモードにでもしておけば良いんだろうけど、やはり心のどこかに「見知らぬ誰かさん」にも読んで貰いたい欲求てのもあるんでして。。。イヤあねえ。性根がイヤらしいわねえ。
 それに比べりゃ、こうやって炎上したりアンチな意見がばんばん飛んできたりする最中でも超然とした態度を保てられるのは、真面目なはなし、ホントに凄いと思う。肝の座り方が全然違う。まあ、そうでなけりゃこれだけコンスタントに記事を書き続けられないよなあ。


 ウェブとかネットへの接し方の違いってことになると、現在はまだ<インターネット初体験年齢>の違いがそのまま<その後のネットリテラシーの差>を決定づけている段階だという気がしている。早い話、十代からネット文化に浸かっているヤツと、電報・電話・ファックス・ポケベルなどをさんざ使ってきた後にようやくネットが普及した世代とでは、やっぱとらえ方、感じ方は違って当然でしょと。で、こういうのはたぶん理屈ではない。もっと感覚的なものだと思う。で、冗談サイトを前にして怒るか怒らないかは、いかに理屈っぽい理由を述べようとも、本当は感覚的・感情的なものが直接の理由なんだと思う。
 ということは、たとえば改善策としていくら本文の前後に「嘘ニュース」と明記しようが何しようが、今後もダマされる層は一定以上存在すると思うし、激怒する人も出てくるだろう。残念ながら、当分の間はこの両者の溝はそう簡単に埋まることはないと思う。
 もし将来的に、この手のパロディサイトが無効になるとしたら、それは“新聞記事文体”という独特の文体が解体されるときだろう。要するに、新聞というメディアの有効性が薄れるとき。つまりは「いかにも新聞記事な文体」が世間的に有効であるあいだは、その文体を真似たり茶化したりするヤツだっているだろうし、ということはダマされたとかバカにされたとか怒りだすヤツも出てくるってことだ。

 …ということで、ご自分で「クオリティペーパー」を自称するからには、今後も新聞記事文体を存分に駆使して、上質の風刺記事をものしてもらいたいもの。あえてわたしが批評するとしたら、見出しの言い回しとかたまに新聞記事らしくないなあと思う時があるけれども、まあ、あまり隅々まで徹底しすぎるとまた怒られちゃうというジレンマがあるからねえ。
 

(後日追記)
うひゃあ、自分の想像以上に各所で喧々囂々だったのね、この問題。しまった、わたしなんかが触れるんじゃなかった。
いちおう当のサイトで「検証」なる釈明記事もあがってたことだし、この件はもうそれでいいんじゃないか。もとより万人受けは目指してないらしいから、反感買うのも織り込み済みってことで。