天使の分け前 THE ANGELS' SHARE

2012年、イギリス/フランス/ベルギー/イタリア。監督:ケン・ローチ

後味は苦い。ピートの効いたアイラ・モルトのように…とでも書けばブンガク的なのだろうが、観終わった最初の感想としては、もっとあっけらかんとしたハッピーエンドが観たかった、というものだった。

ところはスコットランドグラスゴー。父親の代から敵対している一家があり、主人公・ロビー青年は若い頃から荒んだ人生を歩まざるを得ない。酷い暴力事件を起こした前科者であり、額のキズもあって、何処へ行っても社会から排除されてしまう側にいる。そんな彼にも恋人がいて、映画開始早々に長男が生まれる。息子のためにも、そして若い彼女のためにも、今度こそまっとうな人生に戻らなければならないのだが、この街ではまともに就職することすら叶わない。子供が生まれることに免じて刑務所行きを免れ、社会奉仕活動を命じられた主人公は、更正施設で出会った指導教官ハリーのもとで働く。実はハリーは大のウイスキー愛好家で、醸造所の見学やウイスキーの試飲会に誘われるうち、ロビーはテイスティングの才能があることに気づく。どこにも逃げ場のない、閉塞した現状から脱出するためにも、青年は一攫千金の大博打に打って出る…、という筋書きだ。

1時間41分の映画の、中盤あたりまで、主人公を取り巻く絶望的と言っていい環境が、生々しく語られる。この作品の主題はおそらく、そういう「現代の若者の絶望」を描写することにある。いちど足を踏み外してしまったら、二度と「まともな」社会に戻してもらえない。更正したくても社会がそれを許してくれない、そんな絶望。イギリスをはじめヨーロッパの若者の失業率はとんでもなく高いパーセンテージを示しているのだが、この映画はそういう現実のもとに作られている。

愛する息子と妻のために、今後は一切暴力から足を洗うと誓うものの、主人公は絶えず敵対グループから執拗に狙われている。妻の父親からは手切れ金5000ポンドでこの町から出てロンドンへ行け(むろんたった一人で)と迫られる。そんな現在の状況を変えるために、愛しい家族と一緒に生きて行くために、彼にはなにより「カネ」と「仕事」が必要だ。しかし、まっとうなやりかたでは、どちらも絶対に手に入らない。ではどうすればいいのか。


一樽100万ポンドは堅いだろう、という幻のウイスキーが発見され、オークションの日程と場所を、主人公は知る(最終的にそれは115万ポンドという破格の高額で取引される)。彼は、奉仕活動で知り合った、同じく社会のはみだしものたちとともにその場所に向かい、樽からボトル4本分をちょろまかす。それをウイスキー・コレクターに闇で高く売りつけようという魂胆なのだ。
「今後はまっとうに生きて」と強く言う妻の願いに反して、かれが大金を得、社会復帰を果たすには、結局こういう「犯罪」を犯すしかなかった。おそらく誰にもバレないだろう(タイトルの『天使の分け前』は、樽の中で熟成中にウイスキーが自然に蒸発することを指すのだが、さらにボトル4本分少なくなってもバレないのかどうか、わたしにはわからない)とはいえ、常識的に考えて「まっとうではないこと」には違いない。主人公グループのこの行動に、観客が罪悪感を覚えないためには、密売相手であるコレクターの反社会性が、もっと酷く描写されていたら良かったのではないかと思う。それこそ、「幻のウイスキー」を入手するためなら殺人でもなんでもする、というふうな、もっと強烈で俗悪なキャラが必要だったのではないか。それと、主人公の「特殊な才能」が犯行の土壇場でまったく活用されなかったのもどうか。というか、ロビー自身は結局アレを一口も飲んでなかったのでは?

あっと驚く危機があり(その瞬間、映画館の中で、わたしは本当に大声を出して叫んでしまった。恥ずかしい)、ハラハラさせられるのだが、結局、当初の目論見からは外れたとは言え、主人公グループはそれなりの大金を得る。ロビー青年はその金でクルマを買い、妻と子供を乗せて就職が決まった醸造所へ向かうところで映画は終わるのだが、やむにやまれぬ動機を丁寧に描かれた主人公はまだいい。同等にカネを分配された残りのメンバーたちには、結局、何の将来もないのである。「どうする?」「じゃあこのカネで飲みに行くか!」で終わってしまうのだ。おいおい。

悪銭、身につかず、であるはずだ。目的もなく大金だけ手にしてしまった彼ら/彼女の、今後の行く末の方が、むしろ気がかりだ。それもだが、数日いなくなったと思ったら急に金回りが良くなってクルマも手に入れて就職先まで決まった夫のことをなにひとつ疑わない妻も非常に不自然ではないか。そしてなによりも、苦労して手に入れた幻のウイスキーの、最後の一本を、あろうことか彼を最後まで励ましてくれた唯一の理解者であるハリーのもとに届ける、というのはどうなんだ。なんでこんな貴重な酒が手元にあるのか、不思議に思わない方がどうかしている(記念写真入りの新聞記事と一緒だったので、うまくダマされたのかもしれないが)。

この作品、「たしかに犯罪ではあるけれど、それはそれとしてちょっといい話」にまとめたかったのかもとは思う。というか、そういう物語にまとめてくれたら良かったのだが、映画はその辺は盛大に破綻させたまま、あっけなく終わってしまう。後味が苦いと書いたのはそういうワケだ。いや、「ちょっといい話」でなくともいい。主人公たちの行動がどんな悪事であっても、観客にそれなりに感情移入さえさせてしまえばよかったのだが、そうなる手前で話がすすみ、終わってしまったのが残念だった。

擁護するとしたら、そんなふうに「犯罪」を犯すことでしか未来を掴むことが出来ない「厳しい現実」を描写している映画であるとは言える。しかしそれならば、窃盗癖が直らないモーや、頭の足りないアルバート、そしてライノたちにもそれなりの「今後の希望」を示唆して欲しかった。これは脚本のツメの甘さだろう。いや、倫理観の厳しい往年のハリウッドならともかくも、現代のヨーロッパ映画ならこんな感じでしょ、というならそうなのかもしれないが。

アイラ島のピートの効いたモルト云々、というセリフが中盤に出てくる。「ピート?誰だそれ」「いや、ピートというのは<泥炭>のことで…」「泥だって?酒にそんなもの混ぜるのか!?要らねえよ」…そんな風に会話は続いたように記憶している。いま、わたしは、ラフロイグという、非常にピートの効いた、アイラ島の有名なシングルモルトをロックで飲りながら、この感想文を書いている。思えばアイラのシングルモルトで、最初に好きになったのがラフロイグだった。このピート臭いウイスキーにはとんでもなく癖があるのだが、いったん好きになると他では満足できない味わいがあるのだ。この映画の味わいも、もしかすると、そんな類の「癖」を持っているのかもしれない。映画館を出た直後は「なんだこのクソ映画」と思っていたのだが、家に帰って反芻しているうちに、ちょっと考えが変わってきているからだ。DVDが発売されたら、もういちど見直して観てもいいかなと、半ば酔った頭で、今はそう思っている。