火星の人

2015年米映画/リドリー・スコット監督作品
そこそこ長いわりに地味な映画ではある。けれども要所要所で手に汗握り、時に涙し、時に笑った映画でもあった。宇宙空間にただ一人取り残されたという設定では記憶に新しいところでは『ゼロ・グラヴィティ』があったけど、リアリティという意味ではこちらの方が………………………うーん、どうなんだろ。
ともあれ、アタマ空っぽにしてただひたすら映像に身を任せていればいいジェットコースタームービーではないことはどちらも同じかもしれない。とはいうものの、『オデッセイ』(なんでこんな邦題になったんだろ)の方がよりアタマの良さが随所に出てくる映画でもあった。例えば通信方法の解決の仕方とか。映画ではテンポよく進めているからなおさら登場人物たちの頭の回転のいいところが際立つんだよな。で、ピンチに陥っても決して悲観的になることなく、ユーモアたっぷりに目の前の問題を次々に解決してゆくのも基本に「登場人物全員の偏差値の高さ」があるからこそ。まあ本当のリアルでいうと途中で失敗する確率の方がはるかに高いミッションなんだろうし、そこはフィクションだからこそ安心して見ていられるハラハラドキドキではあるんだけれども。
『ゼロ・グラヴィティ』は広大な宇宙空間にたったひとりという絶望的な孤独感がサスペンスとなって全編を貫いていたが、今作は地球でのてんやわんやがたっぷり描かれ、そこがエンターテインメントとなっている。もうひとつ、本作の明るさを演出しているのは作中で「前世紀」と言われていた80〜90年代ロック/ポップスがふんだんに使われていたことだろう。あの音楽の使い方にはかなり無理があるようにも思ったが、作品の陽性なトーンを決定づける重要な役割を担ったことはまちがいない。
 
火星の風景が無難な線に収まっていたのはかなり不満だった。いつだったか、NASAが撮影した火星の地表の画像をネットで見たけど、常識の範疇を超えるかなり不気味なものだった。地球外では地球の常識が通用しないのだ、ということを瞬時に思い知らされる映像だった印象が強く残っている。映画では地球人の常識の範疇に収まる「荒涼たる荒れ地」にとどまっていて、映画制作スタッフは当然あれも見知っていたはずなのにそういうビジュアルを採用しなかったということは、あくまで本作が「エンターテインメント」であることを放棄していないことの証拠でもあるように感じた。


退屈さも面白さもあった映画で、ブルーレイディスクが発売されたらたぶん買うだろうけど、お目当てはむしろオーディオコメンタリーだったり特典映像だったりとかの撮影裏話的なコンテンツで、本編そのものはそんなに何度も見返すことはないと思う。まあ、そういう(裏話を楽しむ的な)楽しみ方ってのもイマドキの消費の仕方ではあるだろう。

【追記】
ネットの映画評をいくつか眺めたけど、結構いい評価なのね。音楽の使い方を褒めてるのもあった。そっかー、自分にはその辺を理解する基礎知識とかセンスがまるでなかったのねえ。
他人が褒めてたからといって自分の態度を変える必要は全くないけど、自分の判断が世間とどれだけズレているかの観測は、まあしておいてソンではないだろう。そういう意味でこの映画は観ておいてよかった…と思うことにしよう。
しかし、あの火星の火星っぽくなさってのに誰も触れてないのが不思議でもあるんだけどなあ。なんかヘルメットかぶって宇宙服着ているわりに一歩外が死の世界という感じがあまり感じられなかった。たしかにストーリー上ではそういう描写は何度もあるけれど(育てた野イモが一瞬でダメになるとか)、そういうわざわざ作られた場面以外での、普通の生活とか作業しているシーンでの役者の演技には「死と隣り合わせ」のヒリヒリした感じが見えない…というかわざと見せてないんだろうな。<絶対に安全なコロニー>があり、そこで<どんな時でもパニックになることなくキッチリと手順を踏むこと>、つまり<科学的態度>をけして崩さずに行動していれば、どんな逆境であっても絶対に生き延びられる。つまりは科学と技術への絶対的な信頼感。あ、そうか。そういう点がわたしにはあまりピンと来なかったのかもしれないな。むしろ「宇宙空間では人間の小賢しい知識なんかまったく通用しない」と思いたがっているのだろうな、たぶん。