海よりもまだ深く

2016年/是枝裕和監督作品

そういえば、最後までタイトルって出て来なかったような。見落としたのかな。
映画はいきなり始まる。一切の前触れもなく。日本のどこにでもあるような他愛のない母娘の会話が、狭い部屋で彼女たちがこれまで過ごしてきた時間の長さをじゅうぶん感じさせるほどに匂いそうな映像に載せて、続く。「何気ない日常を切り取った」というにはあまりにもリアリティのある手触りが、そこに充満していた。
だいたい、長く暮らしている家というのはそれぞれ特有のニオイが染みついていて、赤の他人からすればとっても臭いのだ。体臭、生活臭、ふだん飲食している食品のにおい、もしペットを飼っていたらもちろんそのにおいも。そういうニオイが、この映画は冒頭から強く感じられた。

主役の中年男は、とことんダメ男として描かれる。同じ中年としては随所に身につまされて、身もだえしそうになる。こういうダメダメ男って、確かにいるよなあ。でも現実だとこういうダメさってもっと危ない、犯罪方面に行きがちかもしれない。いや、作中でもずいぶんアウトローなコトをやってるんだけど、それでもフィクションならではというか、かろうじてマトモさを演出していたのではなかろうか。個人的には主人公の言動には一ミリも共感できないけど、とはいえそれでもやっぱり身につまされたのは、それなりに普遍性のある存在として描かれていた証拠でもあるのだろう。
主人公の老いた母親の方は、そんな息子にとことん甘い。ダメ息子ほど可愛いというか、この母親だからこんな息子になったのか、しかし母親の溺愛っぷりは、物語のあちこちでもう少し強調されていてもよかったかもしれない(具体的に言うと元嫁と対峙する場面とかで)。
それで言うと、主人公の姉の存在感はかなりぐっと来た。対母親、対弟、対夫、対娘。それぞれの関係性が見事に筋が通っていて、すごい芝居だなあと思った。作中もっともリアリティがあったのは、この姉の描き方だった。

全体に控えめで、品が良く、それでいて芝居の描写が細やかかつ生き生きとしているから、観ていて安心感がある。映画として破綻がないのは、しかし、いいことなのかどうなのか。物語のクライマックスとなる台風の一夜なんかは、もっと暴れていてもよかったと思うし(少なくとも帰れなくなるほどの暴風雨、という描写には見えなかった)(落としたアレがすぐに拾えちゃうくらいだから風はほとんど吹かなかったのかな?)、台風一過の翌朝のシーンも、だから画面ではがんばってそれらしい清々しさを出そうとしていたんだろうけど、ちょっとヨワイと感じた。ラストシーンの駅前、折れた傘が何本も落ちてるところなんてあざとすぎ。9月のカレンダーが壁に貼ってあったのでまだまだ夏の暑さが残っている季節なんだけど(暑い描写は何度も出てくる)、設定をもう一ヶ月ほどずらしたら、たとえば大量の落ち葉が濡れ落ちている絵になるだろうから、絵としてさぞかしキレイだっただろうな。



是枝監督作品は昨年に観た『海街diary』に続いて2作目。劇場で観た映画ってたいていBDなりDVDなりを購入しているのだが、『海街』は家のテレビで観ると絶対がっかりするだろうなと思って、実は今も買ってない。今作もまた、家で観ることはまずないと思う。劇場でこそ観るべき映画というと、最近では爆音上映とか応援上映とかがあるんだけれども、実は本作のような「とことん日常芝居にこだわった」作品こそが、劇場という「非日常空間」で観るべきものじゃないのかな。忘れた頃に場末の映画館でやってたら、フラッとチケットを買ってしまうだろうな。そんな映画だと思った。