せいしゅんひゃきろ


平野勝之監督作品/2016年/制作・配給:本中(R-18指定)
※「せいしゅんひゃきろ」というひらがな表記は映画チラシ掲載に準拠

立誠シネマにて監督のトークイベント付きで鑑賞。トークの冒頭で、「監督と主演女優がお互いに全く興味ない」と言って笑わせていたが、この映画は徹頭徹尾“アタマおかしい”。
監督にオファーが来たのが撮影の4日前というのもそうだし、映画に出てくる人物もみなどこかネジが外れている。それこもこれもみな、アダルトヴィデオ業界を題材にしているからだ…と言っていいのかどうか。
あるアダルト女優が引退を表明、その最後の企画の一環としてこの作品は依頼されたらしい。その女優のファンである一人の青年(年齢は明らかにされていないがトークでの監督の話によればたぶん22〜3ではないか、とのこと)が、新宿から撮影現場の山中湖までの100キロを、2日かけて自らの足で走り通す。見事ゴールできたら、その女優に会えるというものだ。青年はホノルルマラソンを経験してはいるものの42.195キロ以上は未知の領域だし、山中湖は山の中。おまけに実施時期は2015年12月29・30日という。都心ならまだしも、山はぐっと気温が下がる。二日目は絶対しんどいから、初日でできるだけ距離を稼いでおきたい。青年はそう計算する。

撮影までの準備期間があまりになさすぎたこともあったんだろうが、走る青年を追いかける、平野監督ら撮影スタッフのグダグダぶりがとんでもなくヒドい。おそらくは一気に走り抜くつもりだった彼の邪魔になることばかりをやらかしているのだ。
監督は自転車にヴィデオカメラを付けて青年を追う。併走するワンボックス車には二人乗っていて、こちらもカメラを回している。スタート直後は何のトラブルもなく、このままだと全く面白くないから「10キロごとにあいつに何かやらせようぜ」などと言っているのだが。
28キロを超えたあたり、スタッフがちょっと目を離した隙をつくかのように、青年が突如行方不明になる。大きい交差点を左折すべきところを、間違えて真っ直ぐ行ってしまったのか? 走る青年はできるだけ身を軽くしたいから携帯電話や財布など一切を車中に置いたまま。同行スタッフの携帯番号すら事前に教えていない。慌てた撮影班は自転車と車で手分けして周辺を何度も探すが、一向に見つからない。
「そうだ、おれたちの携帯は知らなくても、あいつ自分の携帯に何かメッセージ入れてないか?」監督が気付くのは行方不明になって2時間近くたってからだった。いくらなんでも気付くの遅すぎだろ。そんなこんなでようやく無事に再会。もちろん大幅なロスタイムである。普通ならもうこの辺で心が折れかけてもよさそうなものだが、彼は当然のようにまた走り出す。
結局、初日はちょうど50キロ地点まで走ったところでタイムアップ。温泉施設に泊まったはいいもののあまり寝られなかったらしい。

二日目もまたグダグダスタートだ。できるだけ早く出発したい青年のイライラをよそに、自転車を修理したりなんだかんだで、スタートしたのは午前10時になってから。おいおい、てめーらホントに邪魔することしか考えてないだろ!
青年の足は昼前にはパンパンに張り詰めていて、ほとんど走ることができなくなる。以降はほぼ、歩きだ。ゴールに近づくにつれて上り坂がきつくなり、日が暮れて気温もどんどん下がっていく。二重三重の過酷な状況が容赦なく彼を襲う。山に入ればコンビニすらない(=昼飯さえ抜き)。
それでも彼はあきらめない。ゴールする前にどこかで歯を磨きたい(女優と相対するのに口が臭かったら失礼なので)、などとのたまう。すでにフラフラで、どう見てもヤバイ状況なんだけど、彼はゴールした後のことしか考えていないのだ。真っ暗になった極寒の山のなか、監督の自転車とワンボックスが彼に寄り添う。とんでもなく非常識なシチュエーションながら、しかしこのあたりはものすごく美しいシーンでもあった。

映画は彼の無茶すぎる冒険と平行して、女優の引退記念作品の撮影現場がドキュメントされる。初日がプロ男優たちとの共演、二日目の山中湖は大勢の素人男性たちとの大乱交パーティ。いずれもまあ「奇妙な光景」としか言いようがないが、アダルトヴィデオを見慣れた向きにはこれが「普通」でもあるんだろう。なにが非常識でなにが常識的なのか、世間一般的な価値観をひっくり返したまま、映画は続く。
監督はトークの席上、これを「鮭の群れ」と表現していた。——鮭が一斉に射精するんですよ。で、一匹だけその群れからはずれたのが太平洋からはるばるやってくる。オレはそいつを鳥の目で追いかけてるわけ。魚の群れの中から見ればおかしなコトじゃないんだろうけど、鳥から見たらどいつもこいつもみんなヘンだよなあって。——この作品の中でオレがいちばんマトモだった、と監督は言うが、いやいや、映画の中の監督自身もじゅうぶん“アタマおかしい”って。
 


あっさりネタばらししてしまうと、青年は無事にゴールし、本懐を遂げる。あんだけヘトヘトになりながらよくもまあ最後までできるものだと感心するしかない(そのシーンだけが唯一「普通の」描写になっていたのがまたおかしい)。
トーク後の質問コーナーで、撮影スタッフの準備の足りなさを強く指摘していた方がいた。おっしゃることはしごくごもっともで、無事にゴールできたから良いものの、途中で重大な事故にもつながりかねない危険がいっぱいあったのだ。その意味では期せずしてハラハラドキドキの連続となり、映画としてちゃんと面白く成立しているのだが。
映画を観ていた最中は、わたしもまた監督たちの手際の悪さにちょっとイライラしていたんだけれども、準備不足を含めそういうところを全然隠そうとしていないところは、後から思えばこの映画の非常に良い部分でもある。登場人物がことごとく“アタマおかしい”と書いたけど、その“アタマおかしさ”を全然取り繕っていないのだ。結果として、制作側の一本芯の通った“誠実さ”みたいなものを、随所に感じることができた。
商業映画のドキュメンタリー作といえば、某エセ作曲家を追った作品が公開され話題を集めているようだ。そちらの監督は「ドキュメンタリーは嘘をつく」などと言っているようだが、いまさらそんな当たり前のことでドヤ顔されてもなあ、とも思う。そちらについては作品公開前の監督インタビューなどをいくつかネットで読んだだけでお腹いっぱいになり、結局その作品にはまったく興味を持てなくなった。観てもいない映画と比較するのはやっちゃいけないことなんだけれども、感触としては「(どうせ同じ嘘なら)ドキュメンタリー作品としてはこちらの方がより上質なんではないか」という気がしている。なにより、トークで監督があれこれ言い訳がましいことを一切言わなかったことに好感を持った。


立誠シネマでは平野監督の旧作を一挙上映するなど特集を組んで(特集上映はこのあと名古屋でも開催)おり、監督の独特の世界をたっぷり堪能できるようになっている。案内チラシを読む限りにおいては、申し訳ないけど個人的には全く観てみたいと思わないものばかりなのだけれども。


【2017年5月追記】
この映画、パッケージソフト化されないのかなあと思っていたのだが、そもそもがAV女優の引退記念作品だったってことを完全に失念していた。別題名でとっくにDVDが出ていたのね。しかも2,000円でおつりが来る低価格で。
映画とは別にAV作品用の編集になっているのかもという懸念はあったが、とりあえず購入。ざっとひと通り見直した限りでは、記憶とほぼ一致していたと思う。エンディングテーマ曲もカットされてなかったし。なのでひと安心。
ただしこのパッケージは堂々とラックに並べるには抵抗があるなあ。ジャケット自作しようかしらん。
「年齢指定付き」とはいえ「映画」として映画館で観るのと、「AVソフト」として自宅で観るのとではやっぱ印象が変わるよなあ、とも思った。たとえばクライマックスシーンの“取って付けた感”というか嘘くささは「AV」としては必要不可欠な場面だったのか、とか。どこまでがドキュメンタリーでどこからがフィクションなのか問題は編集された「映像作品」であるかぎりどんなものでも常に付きまとう話であるけれど、実はこの作品はそのあたりを意識的に明確に区別しているようにも感じた。

AVとしての直接的なシーンを全てカットした上で、普通の映画として観ても、やっぱりこいつら異常だよね、という感想は持ちうると思う。登場する人たちの言動の大半が、一般的とされる常識や良識などおかまいなしだから、たとえ性的シーンが一切明示されなかったとしても「生理的に無理」って人はけっこう多いんじゃなかろうか。この作品の魅力は、ひとえにそういうぶっとんだところにあると思うのだけど、ダメな人はまったく受け付けないだろうなというのもよくわかる。
もうひとつ見どころをあげるなら、冬の空気感かなあ。早朝の新宿や夜の山中湖など、各地各時間のピンと張り詰めた空気が伝わってきて気持ちいい。たとえこの作品の全て(ストーリィや登場人物のセリフ含め)が完全なフィクションだったとしても、この空気感だけはドキュメンタリーでしかありえないだろう(意外に普通の劇映画でもここまで出ないと思う)。というかこの作品を「ドキュメンタリー」だと観客に信じさせている根拠の半分以上は、おそらく背景の空気感にあるのではないか。