シン・ゴジラ

2016年東宝/監督・特技監督樋口真嗣/脚本・編集・総監督=庵野秀明
 
わたしがゴジラ映画を映画館で観るのは親にねだって連れて行ってもらった小学生以来だから、ン十年ぶりになる。大人になってからDVDで観たのは1954年公開の初代版と、ローランド・エメリッヒが監督した1998年版の二作のみで、どちらも映画館では観ていない。子ども時代に観たのはたしかモスラかなにかが出てきた記憶があるんだけれども、正確な作品名などはまるで覚えてない。
ついでに言うと、わたしはエヴァンゲリオンすらちゃんと観たことがない。樋口監督・庵野監督両名とも、名前こそ見知っているものの、その作品を観るのは今回がおそらくはじめてとなるはず。登場人物の顔のアップが頻繁に出てくる独特のタッチは、どちらの監督の演出手法なんだろう?


初見の感想としては、これは怪獣映画というよりディザスター映画と呼ぶ方がいいのかもしれない、というものだった。平和な日常が突如現れる謎の巨大生命体によって徹底的に壊される。立ち向かうすべさえわからない絶望感。そういう意味では、わたしの好きな映画『クローバーフィールド』(2008年/マット・リーヴス監督)を思い起こさせもした。ただ、あの作品のラストは途方もない絶望のまま終わったけれども、本作はとにもかくにも怪獣の活動を停止させることに成功し、明日への希望につなげている。とはいえ、そいつは「我々」ののど元に刃を突き付けたまま屹立しているわけで、この締めくくり方はたいへん現代的だと思う。
でもってこの映画、怪獣が暴れ回る以外の時間は、ほとんど関係閣僚会議なんである。このあたりは現実の日本に「想定外の災害」が発生した場合のシミュレーションを、それなりにリアリティを持って描き出そうとしているが故だろう。まあ実際はもっともっと混乱するんだろうけれども(株価の暴落といった日本経済の危機などは登場人物のセリフで触れるのみで、具体的な描写は無い。つまり、日本社会の混乱ぶりをそれほど強く描かないのは、最初から意図してやっているはずだ)。リアリティといえば、災害対策本部?らしき部屋が、最初はかなり豪華な設備なのにゴジラによって撤退を余儀なくせられ、立川に移転してからはしょぼい貸しビルみたいな部屋にパイプ椅子を並べて…というのもいかにもそれっぽかった。徹夜してカップうどんすすってるとか、何日も着替えてないとか、うん、このへん日本的でたいへんいい感じ。いかにも緊急事態ですって雰囲気も出てるし。
…といったリアルっぽいディテールと、一方で大風呂敷を広げた空想科学を一緒にやっちまうから、この手の映画は楽しいのだ。最後のゴジラを倒す作戦などは、現実的にはここまで鮮やかに成功するはずはあるまい。もちろんエンターテインメント作品なんだし、ここは成功しなくては終われないのだが。

日本製の特撮映画にそれほど慣れていないということもあって、ゴジラが都内各所を暴れ回るシーンは新鮮で面白かった。遠景としての大厄災もさりながら、ドキュメンタリータッチで撮影された大勢の人々が逃げ惑うシーンは大変だったんだろうなとか思いながら観ていた。避難シーンはCGじゃなくって実際にロケ撮影したもの? それともあれらも作り物の合成なんだろうか? 東京には住んだことがないしそれほど土地勘があるわけではないけど、ところどころ見知った風景がでてくるとやはりドキッとするもので、このあたりはやはり東京在住の人が観たらさらに面白いんだろうなあと思う。
 
作中、巨大生命体の名前を「Godzilla」と命名するのが米国(第一発見者である日本人科学者由来だけれど)というのも皮肉が効いていていい。ゴッズゥイーラ、という発音は難しいから日本じゃ「ゴジラ」と呼ぶことにしよう、なんてセリフも笑わせてくれる。日本とアメリカ、日本と国際社会、日本と国連といった現代世界への批評的視点を織り込んだ脚本、台詞回し、演出が、ちゃんとテーマとつながって作品のなかに生きているのが良かった。そうそう、こういうディザスター映画こそが、ずっと自分が観たかったものなんだよなあ。ここ数年ハリウッド製大規模災害映画をいくつかDVDで観ていてその度にもやもやしていた気分が、ようやく晴れた感じがした。

この映画はきちんと映画館で鑑賞できてよかった。ただ、わたしが観たシネコンは音響がかなりおとなしめだったのだけが不満だ。これこそ爆音上映会とか、近所でやってくれないかな。ゴジラの咆哮がずっしり響くだけで、緊迫感がいや増すはずなので。