君の名は。

2016年/新海誠監督作品

新海作品というと『言の葉の庭』がネットでの評判がよかったので、昨年だったか一昨年だったかにDVDを買い求めたことがある。しかし、帰宅して大いにわくわくして見始めたものの、あまりに陰気くさいハナシだったので最初の20分くらいで止めてしまい、実はいまだに最後まで見ていない。風景描写もふくめてたいへん繊細な作風であることはわかったが、これは作中世界に存分に没入できる、映画館という環境でこそ見るべき映画なんだろうなあと思ったのだ。なので新海誠の映画は、これまで“なにひとつ”観ていない。
いつだったか、映画館でこの作品の短めの特報を見たときは、「男女入れ替え」の「すれ違い」の恋愛映画だろうと見当をつけた。切なく甘酸っぱい青春ラブコメ(主役は二人とも高校生のようだし)かあ。まあ王道だよね、と。
その後、少し長めの予告編を、これまた別の映画館で見た。そこでは最初に見た特報と違って「早くしないとみんな死んじゃう」とかなんとかいうセリフや、いかにもクレーターの跡っぽい画像が出てきて、頭の中がハテナマークでいっぱいになった。なんだこれは? ひょっとしてハードSFなのか? ひとむかし前に流行った<セカイ系>なのか? で、実はこの段階でなんだかつまんなさそうだな、と思ってしまったのだ。
とか言いながらもやはりどこかで気になっていたんだろう。結局、公開早々に劇場に駆けつけた。




…びっくりした。こんな映画、こんな物語だったのか。すごいなあ。
ものすごく濃密というか、話が二転三転していくジェットコースタームービー。とてもひとことで要約できないストーリー。なのに、上映時間は1時間47分。シン・ゴジラよりも短いぞ。つまりは脚本と構成の妙に、まず圧倒させられたのだ。
青春もののオリジナル作品としては、特報で予告していた「見知らぬ男女の入れ替え」というアイディアだけでたぶん一本の映画として成立するはずなのだけど、そこから話が大きく膨らむ過程が素晴らしかったし、すれ違いのふたりが出会う必然性もその大きな舞台装置の中でしっかり生きている。エンディングはひとつの物語の終わりと言うよりも、むしろここからふたりの物語が始まるんだという幸せな予兆に満ちていて、ぐっとくる。
公式ビジュアルガイドに掲載の監督インタビューだったか、「いまさらジェンダーの差異で話はつくらない」という意味の言葉があった。なるほど、わたしなんかが最初に予想していた<甘酸っぱい青春ラブコメ>路線ははなから作るつもりではなかったということか。思春期の男女の身体が入れ替わるという大事件ではどうしたって避けられない<ジェンダーの差異>表現は、劇中ではなんとかうまく(露骨になりすぎない程度に)やりすごしていたように思った。ホントにあんなことになったらもっと生々しい問題で大変なはず、というかまずまっさきに病院に行くよね、ていうハナシなんだけど、そこいらへんは上手に回避している。このへんは脚本が大変だったんじゃないかなあ。しかし<ジェンダーの差異>が映画の主題ではないとはいえ、男女が入れ替わるからには登場人物はその差異はきちんと見せなければ話にならない。入れ替わっているあいだの細かい仕草やセリフの言い方などは、その差異を芝居として丁寧に表現していて、そこも見事だった。

新宿や四ッ谷あたりの実在する東京という都市と、飛騨地方という言及はあるもののまるきり架空の街である糸守という町。そして三年というタイムラグ。時空間のまったく違う場所に生きている男女ふたりがどこでどう交差するのか。そのための仕掛けが1000年に一度の彗星群というわけなんだけど、ちゃんと説明しようとするとあまりに複雑で、けれども映画を見ているあいだはそんなことは全然気にならなかったので、やはりこれは脚本と演出の巧さというべきなんだろう。あ、そういう意味では「時をかける少女」ぽくもあるかもしれない。
——夢の中で現実とは違う世界を生きている、という夢は、実はわたしもよく見る。さすがに自分自身が異なるジェンダーで登場したことは一度もないし、まったく見たこともない風景に囲まれたこともないけれども(見覚えのある風景がちょっとずつ違っている、という感じ)。けれど「違う人生を生きている自分」ということ自体には、個人的にはほとんど違和感はなかった。
とはいえ、誰もが必ず体験することでもないとは思うし(夢なんか見たことないって人も多いだろう)、だから設定としてはけっこう取っつきにくい世界観ではないかという気もする。そのあたりを、細密に描かれた作中の風景によってしっかり補填しているのがこの監督ならではなんだろう。なにせ、東京に住んだことのないわたしですら冒頭すぐに「あ、新宿だ」とわかるくらいには<リアル>なのだし。



これだけの大がかりなフィクションをこれだけコンパクトにまとめている映画なので、ストーリーを細かく分析していけばたぶん無理矢理だなあというところもたくさんあるんだろうとは思う。けれども、少なくともまったくの初見で映画館に坐っていたあいだはそんなことは全然気にならなかったし、映画のクライマックスと導入部分がつながったところで、ああこれは最初からもういちど見直さなきゃとも思ったので、作品としては大成功なんだろう。とりあえずDVDが出たら絶対買うつもりだし、ずっとほったらかしにしていた『言の葉』を、今こそちゃんと見てみようかなとも思った。




【追記】
↑を書いてから某掲示板を覗いてみたら、主にタイムパラドックスに関する矛盾点がたくさん突かれていて笑った。なるほどなあ。確かに、お互いの関係に3年の時差があるってのを主役ふたりとも全く気付いていなかったというのは、かなり重大な指摘だと思う。スマホの日記アプリを介して連絡しあっていたからには、日付っていうのはいちばん最初に気付くべき事項でもあるはずだろうし。それと、日本にとって国難とも言うべきあれほどの大事件について、映画の前半部分で全くといっていいほど触れられていないのも。
言われてみればどの指摘も映画を見ている最中に少しばかり頭をよぎったことばかりだし、そのへんを気にし出すと映画本編が楽しめないのもよくわかる。
けどまあ、そーゆー<ご都合主義>ってのは昨今の映画には(洋画・邦画ともに)よくあることだしぃ、てな感じでスルーしてもいいんじゃないかなぁ。…って、甘すぎ?