聲の形(こえのかたち)

2016年/山田尚子監督作品

原作は(最初の短編含め)いっさい未読。そっか、これ、少年マンガが原作なんだよな。西宮さんというより、なにより石田くんの救済の物語だったんだ。


17日の舞台挨拶パブリックビューイング付き上映会に出かけた。わたしが行った会場では、上映直前に完売・満席になった。満員の映画館なんて何年ぶり、いや十何年ぶりになるのかな? 今でこそたとえば『君の名は。』なんかは毎回満員御礼だというが、あの作品でさえ、封切り直後にわたしが行った時はまだまだ空席の方がはるかに多かったから、今回のようにぎっしり埋まった客席に埋もれて映画を観ること、それ自体が実に新鮮だった。中高生と思われる若い女性客も多く、それだけ期待されていた映画化だったんだろう。


公開直前に、ネット上にたくさん露出された監督やキャストやスタッフインタビューのたぐいはほとんど読んでいたし、原作漫画が描かれた際の評判なんかも少しは目にしていたので、まったくなにも知らずに物語に接した、というわけではない。とはいえ具体的なエピソードやあらすじの展開なんかは全然知らないので、これ、どういう結末になるんだろうと、終始ドキドキしながら観ていた。
上映中ずっと、こういう映画って、昭和の昔ならきっと小説が原作で、映画化も実写になっていたんだろうなあ、とも思った。このストーリーがまず漫画で描かれ、それをアニメーションとして映画化する、そのこと自体がふた昔ほど前ならまず考えられなかったことなのかもしれない。たとえば実写映画であるはずの『シン・ゴジラ』がアニメ監督によるアニメの文法で制作されていることと、『聲の形』がいわゆるお約束的なアニメの文脈には則っていない作り方をされていることは、ともに2010年代の映像作品としてなにか通底する部分があるのだと思う。
その流れで言えば、ヒーロー/ヒロインはじめ主要な登場人物たちがそれぞれ長所も短所もある、等身大に近い人物として造形されているのもとても<現代っぽい>と言えるのかもしれない。欠点というかネガティブな面が描かれていない人物っていうと、主人公の母親くらいだろうか? あ、「親友」である永束くんもわりと<高校生男子でここまでイイ奴、いるかあ?>とか思ったけど。
そういう、主要各キャラクターのネガ面も丁寧に描出しつつ、しかし映画全体としては暗くなりすぎず、また重くもなりすぎずに見せているのは脚本ならびに演出の力と言えるだろう。実際、けっこう笑える場面が随所に差し込まれていたのには感嘆したし、各キャラクターのネガティブなところも単に物語の展開上の<嫌な役どころ>という記号ではなく、自分にだってそういう部分はいっぱいあるよね、という共感を得られる描き方をしているのがすばらしい。


 
タイトルからも察せられるように<音の映像化>が本作の主題のひとつでもある。そういう意味では、この作品は「劇場という特殊な空間」でこそ鑑賞すべき映画でもあるはずだ。単にストーリーを絵解きしました、というのではなく、画面の隅々、あるいは表現されている音のひとつひとつにまできちんと意味を持たせている、そういう映画だ。それでいて難解なところはなにもなく、初見であるわたしですらちゃんと感動できるし、エンターテインメントとして楽しめる。まあ、あえて言うと、脇役として出てくる何人かは原作を知らないゆえ少しばかり唐突な感じもしたんだけれども、それは映画全体を損なうものではなかったはず。
ライブビューイングで観た監督の挨拶で、「繰り返し観て貰える強度を持たせた」という意味の発言があったと記憶している。その言葉に偽りはない、と思った。