むかしばなし

遠い遠い、昔の思い出。





映画『聲の形』で聴覚障害者についていろいろ話があるようだが(映画に字幕がないこととか)、わたしがごく個人的に思い出していたのは、また別のことだった。不幸な事故により下半身不随になり車椅子生活を余儀なくされた方が大学時代にいたけれども(年齢としては先輩だけども学生としては同級生になり、家もわりと近くだったのでしょっちゅうつるんで遊んでた)、それとは別の、もっと昔の話。


小・中学校時代、障害者だけのクラスがあった。当時は「特殊学級」という呼び名だった。今ではそんな露骨なネーミングはしないと思うが、当時は身体障害者も含む「知恵遅れの子どもたち」のクラスとして一般的だった。
そこの生徒たちを敬遠する連中はたくさんいた。というか、クラスメイトの母親たちからして「特殊学級の子どもたちには近づかないよう」にしていた節があったように思う。「我が子のクラス」と「特殊学級のクラス」とは違うんだ、一緒にしないで欲しい。そんな空気感が、目に見えないところで漂っていたように思う。

別に自分のことを特別視するつもりはないが、わたしはそういう空気はあまり気にせず、しょっちゅう「特殊学級」の部屋に遊びに行っていた。おもしろい絵本なんかがその教室だけにあったから、それを読みたかったってこともある。

そんなわたしのことを、まず最初に気にしていたのは担任の先生だった。「知恵遅れの子」を「いじめ」たり「からかい」に来ているのではないか、という警戒心だ。特殊学級担当の女性教師から面と向かって「キミは何しに来てんの」と言われたことも何度かあった。
はあ。まあ。などと曖昧な受け答えをしつつ、そのクラスの子たち(おなじ教室に同級生もいれば下級生もいる)と一緒に絵本を読んだり、簡単なゲームをしたりして楽しく遊んでいた。

これは天に誓ってもいいが、当時のわたしがそこにしょっちゅう出入りしていた理由は、単に自分が「楽しかった」だけあり、同情心や優越感を抱くため、ということなど露にも思わなかった。あとで(担任の先生を含め)回りからそういう意味のことを言われてびっくりした。担任から親へなにかしら伝えられたんだろう、あるとき母親から「特殊学級に遊びに行っているそうね」と言われてひどく驚いたことも覚えている。そのときも「だって面白いもん」と答えたはずで、なぜそんなに回りが大げさに問題視しているのかは、さっぱり理解できなかった。


九九がわからないから教えて、とか、ひらがながうまく書けないとか、放課後の「特殊学級」の同級生/下級生たちにはずいぶんいろいろ相談を受けていた。へえ、そっかー、と言いながら、わたしはそれなりに一所懸命彼ら/彼女らと向き合い、というかものを教えるほど出来ている子どもでもなかったから、ただただ一緒に遊んでいただけだった。

転機が訪れたのは卒業も近くなったある秋のことだった。
わたしにしょっちゅう懐いていた下級生の女の子と、たまたまふたりきりになる瞬間があり、いつものようになんか本でも読もうか、と学級文庫に手を伸ばしそうになったとき。
急にその子がうんと顔を近づけてきた。
「キスしてもいいんよ」と彼女は言った。
このとき、彼女はもっと卑猥でもっと性的なことを言ったような気もする。しかし、中学生のわたしにとって、それはあまりに唐突すぎ、あまりにオトナすぎた。

「やめてえや」近づいた彼女をどんと突きとばした。「そんなんやないし」

少しばかり沈黙が続いた。やがて教室に第三者が戻ってき、それをきっかけに、とりあえずはいつもの雰囲気になった。
しかしわたしは、それからあの教室に行くのが怖くなり、避けるようになった。

卒業式の日だったかその直前だったか、「特殊学級」の担任の女先生に呼ばれ、<あの日>のことを謝罪された。あのあと彼女はすごく後悔していて。私からも、あなたにも悪いと思っている。そんな風な言葉だったろうか。卒業前にもういちど、あのクラスに行ってくれないか。そうも言われた。

そこまで言われて、特に断る理由は思いつかなかった。わたしは懐かしのあの教室に行って、僕はもう卒業やけどみんな元気でね、みたいな当たり障りのないことを言って、そそくさとその場を去った。



…一生懸命思い出したけど、わたしの記憶は以上だ。もちろん、以上の記述は、自分の都合のいいように記憶を改変している可能性は大いにある。当時の自分に「障碍者」にたいする差別心や、そこまでいかなくとも『面倒くささ』や『しんどさ』をまったく感じていなかったかと問われれば、返す言葉はない。自分としてはそういう気持ちを抱いたことはけしてなかったと思うのだけれども、それは「今になって当時の自分を振り返って」のことだろうと問い詰められたら言い返す自信はない。
しかしあのとき、わたしが思ったのは「女ってこええな」であり、「通常学級」の子より「特殊学級」の子の方がよりダイレクトで「こええな」であり、いきなり性的な結びつきを求められても対応出来ない自身の幼さを突き付けられた感があり、というか性の目覚めって女の子の方がはるかに上を行ってるんだという怖さでもあり。数十年たった今でも、あのときの「事件」は自分の中でどう消化していいのか、実はよくわかっていなかったりもする。十二分におっさんになった今では、キスのひとつくらい別に減るもんじゃなしブチューってやっちまえじゃいいじゃん、などと思ってしまったりするんだけれど、やっぱそれは違うんだろうな。
 
   

中高生時代の性的な憧れやら未熟さってのは、昔も今もそんなに変わっていないんだろう、と思う。

高校時代に下級生の女の子連中がいわゆる「援助交際」で中退していたり、小学生時代にものすごく優等生だった女子が中学〜高校のあいだにヤクザの情婦になったとかなんかで同級生男子のあいだに激しい動揺が走ったとか、まあ思い起こせば実にいろんなことがあった。携帯電話やインターネットはおろか、ポケベルさえ発明されていなかったはるか昔の話である。



ま、いつだってヤる奴はヤってるし、モテない奴はどんな時代だってモテてねえ。男と女って、そんなもんだよな。