ラサへの歩き方

2015年中国映画/チャン・ヤン監督作品

いちど映画館に足を運ぶと近日公開のチラシや予告編なんかで新しい作品を知り、それを観に行くとまた新しい映画が…ということで、ここんとこほとんど毎週のようにどこかしらの映画館に出向いている。この作品のチラシを手にしたのは『Song of the SEA』の時だったか『パコ・デ・ルシア』の時だったか。単館系の映画は期間も短いしほとんどが一日一回限りの上映なので、見逃してしまうことも多いのだが、これだけはどうしても観ておきたかった。京都での上映はみなみ会館で、本日封切りだからだろうか、150席ほどのハコにだいたい三分の一くらいは埋まっていたように思う。

(主にアニメなどの)フィクション作品の舞台となった場所を巡ることを指して「聖地巡礼」などというのは、今では一般新聞なんかも使っているけれども、そもそもは宗教用語であるはず(なので「舞台探訪」という言葉を使う人も多いし、わたしもその方が正解だと思う)。本作は、チベット仏教の聖地ラサ、そしてその先に聳える聖山カイラス山への2400キロにも及ぶ巡礼の旅を、ほとんどドキュメンタリーのように描いている。
ドキュメンタリーではないことは、たとえば時に壮大に、時にドラマティックにと自在に変わるカメラアングルからもわかるし、巡礼者のひとりが妊婦で(!)途中で出産したり、もうすぐ最終の地に到着というところで最長老が亡くなったりするという風な「できすぎた」ストーリィからでも察せられるだろう。しかし、この映画は過剰な演出(たとえばBGMを流したりという風な)は一切排除し、巡礼者個々人の内面にも過剰に寄り添うことをせず、ただひたすら五体投地をしながら進むという行為を延々と捉え続ける。そして、ただそれだけで、ひときわ壮大な—生きるとはどういうことか、とか、人生の意味とは、のいうようなものまで—メッセージを投げているのだ。
凄い映画だなあ…と、エンドロールが流れている間、ずっと感慨にふけっていた。

ドキュメンタリーではないと書いたが、しかし、この映画はかぎりなくドキュメンタリーに近いスタンスで制作されたものだろう。あらすじこそ実にシンプルなもの(聖地巡礼の旅)だけど、ディティールは実に複雑かつ豊潤であり、とてもじゃないがひとことでは言い表せない。写し出される風景はものすごく美しく、同時にものすごく過酷であり、登場人物たちの表情や動きはたまらなくエレガントだ。登場人物はみな職業的俳優ではないそうだが、凡百の演技者では出せそうもない日常生活のリアリティや信心の奥深さをうまく引き出し画面に定着させた監督の手腕はすばらしいし、実際にカメラを回すまでに彼らと深くコミュニケーションをとり信頼関係をしっかり築き上げていただろうことも容易に想像できる。


しみじみと、いいものを見せていただいた。感謝。


【2017年4月30日追記】
祝・日本盤DVD発売!ということで、早速手に入れて視聴。正直なところ、京都みなみ会館のスクリーン&音響は今どきのレベルでの高精度を誇るというものではなく、劇場で観ているあいだ解像度の粗さあたりはちょっと気になっていた。DVDを家庭用テレビで再生したところ、少なくとも画面はくっきりと鮮やかで、映画館よりもかなり繊細な印象を受けた。まあ、とはいえ、やはり映画は映画館で観るものである、という考えに変わりはないのだけれども。それに、ひたすら目の前の画面に集中するしかない環境という点で、やはり映画館という専門のスペースは重要だろう(自宅に専用のホームシアターを構築するようなマニアならまた別かもしれないが)。
この映画のような、フィクションでありながらドキュメンタリーでもあるという独特な作品は、こちらもひたすら集中して鑑賞するのがなによりふさわしいし、それなりに「態度」が求められる密度がある。
とはいえ、一種の環境ビデオとして、ずっと流しっぱなしにしていてもいい映画かもしれないとも思う。やたら扇情的に盛り上げるBGMのたぐいが一切ないところなんかもその理由のひとつとして挙げられよう(それでいて物語の展開はけっこうドラマティックなんだけど)。

とまれ、<いいものを見せていただいた>という初見時の感想になんら変わりは無い。改めて、感謝。