エゴン・シーレ 死と乙女

2016年オーストリアルクセンブルグ映画/ディーター・ベルナー監督・脚本作品
映画館に貼ってあった一枚の予告ポスターに惹かれて観に行った。以前観た『黄金のアデーレ』みたいにひと捻りしているのかと予想していたんだけれども、まさかこんなに本格的な伝記映画だったとは。とはいえ、エゴン・シーレについては早世したエロス芸術のひと、程度の予備知識しか持ち合わせていないので(大学時代にものすごくシーレに傾倒していた先輩がきっかけでその名を知った程度)、どこまで史実でどこから脚色なのかはわからないのだけれども。
芸術家のエゴイスティックな面は、なるべく控えめに抑えられた印象を持った。主要登場人物の大半が不幸な最期を遂げるのだけれども、特に誰かを悪役に設定するのではなく、みなそれぞれに時代と運命に飲み込まれていった、という描写だったように感じた。ヨーロッパらしいソフィスティケートというのかな、もっとどぎつい演出や展開を期待する向きには若干物足りないのかもしれないが、まあこれはこれでアリなんじゃないかな。
ただ、主役のエゴン・シーレ役の人がもっと病的な身体だったらさらにイメージ通りだったかも、とは思った。かなり健康的な役者さんで、死に至る病床に伏せってからでも、なおその身体からは生気が出ているのだ(例えに出すのは申し訳ない気もするが、風貌が作家の森見登美彦さんによく似ていた)。


サブキャラ好きとしてはクリムトが出てくるシーンが印象的だった。彼の佇まいは実にイメージ通り(といっても彼の肖像すらよく知らないんだけど)。女優さんたちはどなたも見事な脱ぎっぷりで実によろしい。

画家、あるいは「絵を描くこと」を主題にした作品はやはり面白いですな。…などと胸を張って言えるほど多くの映画を観ているわけでもないのだけれども、「絵描きは何を観ているのか」という<視線の問題>に、映画作家が敏感になるのは必然でもありましょう。「画家とモデル」を主題にしたピカソのデッサンなども含めて、この手のメタ作品ってのは思いっきり自分好みなんであります。