雑記

登場人物のリアリティ、ということでふと思い出した。年明けからずっとサラ・イイネス大阪豆ゴハン』全12巻を再読していて、ああやっぱこれはこの人の最高傑作だよなあ、『誰寝』も悪くなかったけどやっぱ『豆ゴハン』だよなあ、でもこの漫画のどこがどう面白いんだろう、とずっと考えていたのだ。
ゴハンに惹かれた理由としてまず思いつくのは、登場人物の職業の描かれ方だった。ユハさんの勤務する大手ゼネコン、次女美奈子のディスプレイ業界。長男松林の芸大での学生生活。三女菜奈子のいるオートレースの世界だけは自分にもっとも縁遠いのでよくわからないけれども、いわゆる「クリエイター」の職業世界がほどよくリアルに、ほどよくファンタジックに描かれている、そう感じたのだ。
たしかに『誰寝』ではグラフィック・デザイン事務所が、『セケンノハテマデ』ではロックバンドと、続作でもそういった<現場>感はちゃんと描かれているのだけれども、『豆ゴハン』に出てくるそれは、わたしにはいっそうリアリティを持って感じられたのだ。詳しくは知らないけれどもいかにもそういう感じなんだろうな、と思わせるリアリティの生み出し方。いったいぜんたい、どんな取材をすればここまで描けるんだろう。どうイマジネーションを膨らませたらこんな人物造形ができるんだろう。はじめて読んだときも不思議だったけど、いま『豆ゴハン』を再読しても、やはり不思議だ。そしてさらに、バブル景気が終わったあたりのあの時代の雰囲気だとか、作中にも阪神淡路大震災のエピソードが出てくるけれども、そういった「あの頃」ならではの空気感というのもしっかり表出されていて、ほとんど泣きそうになる。
上の『月のぶどう』ではワイン造りの工程がこと細かに記されていて、それが物語と密接に結びついているのがいい。単なる説明にとどまらず、登場人物の性格やストーリーの流れにちゃんと組み合っている。職業ものドラマでは当然のことではあるんだろうけれども、作中で描かれる「仕事や仕草」をきちんとその人物の造形に結びつけられるというのは、実際のところけっこう難しい作業じゃないのかなと思う。



サラ・イネスの作品でもうひとつ気になるのは「作中に具体的な固有名をどこまで使うか」問題だ。というのも、このひとの漫画では<かなり具体的なイメージ>を<ものすごく遠回りな言い方>で定着させることがしばしばあって、そういう言葉の扱い方も作家性のひとつだろうなあと思っているのだけれども、このへんの研究はまたいつか。実はこのあたり「サラ・イネスにとってリアリティとは何か」を考える上でもっともキーになるところ、のはずなんだが。