ヨーヨー・マと旅するシルクロード

原題:The Music of Strangers/2015年アメリカ映画/モーガン・ネヴィル監督作品
ワールドミュージック”という言葉自体は1960年代に造られたものだそうだが、レコード店などで頻繁に目にするようになったのは1982年にピーター・ガブリエルが<WOMAD(World of Music, Arts and Dance)>をはじめて以降のことだろう。遅くとも80年代終わりごろには、街の小さなCDショップでも棚ひとつ分くらいはこのジャンルが占めていたように記憶している。
ショップの棚は、しかし今世紀に入ると徐々に縮小されていく。それは「ワールドミュージック」が特殊ないちジャンルというよりもっと広くポピュラー音楽の中に拡散していったからでもあるかもしれない。日本でも、ケルト系はじめ様々な国・地域のルーツ音楽を演奏するミュージシャンが増え、アニメや映画の音楽からテレビ番組のBGMに至るまで、「それ風の」メロディやリズムをごく日常的に消費するようになった。

チェリストヨーヨー・マが「シルクロード・アンサンブル」というプロジェクトをはじめたのは1998年のことだという。2000年にはボストンのタングルウッド音楽祭でワークショップを開く。一度限りの試みに終わっていたかもしれないそのプロジェクトは、翌年ニューヨークを恐怖に陥れた911もあって、継続を決意した、と映画では描かれている。

95分というからそれほど長い映画ではない。しかし、その濃密さは群を抜く。特に編集が素晴らしいと感じた映画でもあった。
ヨーヨー・マをはじめとする主要メンバーに密着し、インタビューなどを交えながら映画は進むのだが、たとえば「昔レナード・バーンスタインに教わったときに…」というセリフが出ると、すぐに画面は古いバーンスタインの授業の映像に変わり、彼の言葉を映す。同じように、ダマスカス出身の音楽家やシリアから来た音楽家、あるいはスペイン・ガリシアの音楽家など、出身も経歴も実に多様なアンサンブルのメンバーについて、この映画は彼ら彼女らのアイデンティティの根っこのところを丹念に取材し、掬い取る。「旅するシルクロード」という題名にふさわしい、見事な取材であり、そうして得られた膨大なファクトを実に手短に、かつ印象的に観客に伝える、見事な編集術が施されている。



かつてわたしも熱心に聴いた「90年代ワールドミュージック」は(もちろん今でも大好きなんだが)、商業音楽の文脈に則っていたものばかりを好んで摂取していた(要するに手軽に日本盤CDが買えるようなレベル、ちょっと頑張ってもタワレコやヴァージンやWAVEあたりで店員レコメンドの輸入盤を買い漁るくらい)ということもあって、とてもポップで楽しい世界だった。世界はひとつ、WE ARE THE WORLD、地球が僕らの遊び場だ。そんな風な、ごく楽観的で平和な世界。国境を越え、人種や民族の違いを超え、音楽の力でみんながひとつになれる。そういう甘いメッセージに満ちあふれていたのだ。
潮流がはっきり変わったのは、やはり911以降ということになるだろう。そうして、21世紀がはじまってまだ20年にも満たないいま、その種の音楽は<存在するだけで>強力な政治的メッセージを発するようにまでなってしまったように思える。いつの間にか、ほとんど誰も気付かないうちに。
参加ミュージシャンの—全てではないだろうけど—何人かは母国が戦禍に巻き込まれ、大切な家族や友人を失う。またある人は革命のあと祖国は全く変わってしまった、と語る。母国で暮らすどころか、自国でのコンサートすら当局により中止させられてしまうことも。そんなミュージシャンたちは、だからこそ自分のアイデンティティである文化的伝統・音楽的ルーツをきちんと後世に残したいと願っているし、だからこそこのプロジェクトに参加しているんだ、とも語る。

プロジェクトの発足当初、批評家やマスコミからは酷評されたとヨーヨー・マは言う。各地の伝統音楽を寄せ集めたところで、しょせんは多国籍どころか無国籍のなんだかよくわからない音楽しか出来上がらないんじゃないか、そんな懸念を持たれていたというのだ。もちろん、誰か他のひとが手掛けていたらそんなお粗末な結果で終わっていた可能性だってあったはずだ。しかしこのプロジェクトの中心にはヨーヨー・マがいた。彼がいたからこそ成功し、アンサンブルが唯一無二の存在になり得た…と言っていいのかもしれない。
自国第一主義を掲げた大統領が当選したアメリカ合衆国をはじめ、世界の状況は20世紀後半よりも—この映画が制作された2015年よりもさらに—<グローバリズム>にとっては居心地が悪くなっている。中東を取り巻く戦況も終わりが見えない。そういう時代だからこそ、この映画が描き出す世界はとてもとても重要な意味を持つ。できれば何度も見返したい映画でもある。なのでDVD化を今から心待ちにしております。

【ちょこっと追記】
この映画、とても現代的で重要なテーマを追求しているのだけれど、テイスト自体はとても明るい。そしてそれもまた、ヨーヨー・マの人柄を反映しているもののように思える。映画がはじまって最初のころ、彼がある講演の開口いちばんにジョークを披露する。
<ある少年が、父親に言いました。お父さん、僕は大人になったら立派なミュージシャンになりたいんだ。すると父親は悲しそうに首を横に振ったのです。息子よ、残念ながらそのふたつはどちらかしか選べないんだ…>
そのジョークの通り、映画でのヨーヨー・マはとてもオチャメ…というかガキっちょぽい。ああ、好かれる人柄なんだなあ、というのがよく伝わってくるのだ。