今日のハチミツ、あしたの私

寺地はるな著/角川春樹事務所/2017年3月初版

読後のモヤモヤがいまだに晴れない。うーん。



発売後すぐに読み始めたはいいものの、全体の1/6あたりで引っかかってしまい、しばらく放置していた。先日まとまった時間が取れたので(具体的には出張中の新幹線車中だ)残りを一気に読んだ。
冒頭で読み進めるのをやめたのは、登場人物たちの言動すべてにおいてなにひとつ共感も感情移入もできなかったからだ。安西一家はもちろんのこと、主人公である碧についても「なんだこいつ」とまず思ってしまったことが大きい。
碧の彼氏である安西はいわゆる「だめんず」として描写されていて、にもかかわらずなのかどうなのか、碧はそんな安西を見放すことができない。彼が実家に戻るというタイミングで結婚を切り出され、両親に挨拶するため彼の実家に向かうのだけれども、安西の父親はそれを認めない、というか彼氏の方は父親に対して結婚相手としてまともに紹介することすらできていない。
安西父は父で、初対面の女性に対してあまりに理不尽と言うしかない条件を押しつけ…というあたりで本を投げ出したくなった。なんだ、なんなんだ。どいつもこいつもまともな人間がひとりもいやしねえ。でもって、それを唯々諾々と受けちゃう主人公もたいがいだ。
主人公も、子どものころから実の両親の愛情をほとんど受けられていなかったという過去もあり(中学生時代のいじめ問題もある)、なんだかんだで見ず知らずの(恋人とも隔離された)土地で、たったひとりで生きてゆかなくてはならなくなってしまう。いや、おまえ、なんでそこまで。

物語前半の、少々無理のあるように思える設定の数々は、全てが後半に向けてのお膳立てだったというのが読み進むにつれてわかってゆくし、後半はむしろけっこう面白かったんだけど、しかしやはり読後のモヤモヤは残る。うーん、「いいお話し」に持って行きたいが故に設定とか登場人物の性格づけとかを無理矢理持って行っていないか?これ。

著者の小説は、どの作品にも感じているのだけれども、かなり映像的だと思う。どの作品も映画にしたらキレイそうだなとか、こっちの作品は連続ドラマ向きじゃないかな、などと、いつも「映像化」されやすいなあと思って読んでいる。
今回の小説も、映画にしたらけっこう面白いような気がする。養蜂の手順なんかもスクリーンの大画面で見てみたいし。
日本映画に限らず、ヨーロッパの小品あたりでもそうなんだけど、映画だと少しばかり突飛な設定や人物描写でもなんとなく「そんなものか」と流してしまい、気が付いたらクライマックスでぼろぼろ涙を流して「いい映画だったなあ」なんて感想を持って劇場を後にする…なんてことがある。そういう意味でも、このひとの小説ってとても「映画的」であるのかもしれない。
本作の登場人物でいえばたとえば「あざみ」さん。実に存在感のある人物として描かれながら、そのバックグラウンドには全く触れない。主人公からしてこのひとの過去を詮索することは徹底して避けている。「背景がよくわかんないけどやたら光る脇役」っていう存在のしかたって、あらかじめ尺が決められた映画にはよく出てくる気がするのだ。
もちろん、物語に登場する人物について一から十までぜんぶ作品内で説明しなくてはならないなんて法はないし、警察の調書じゃないんだから全てを知る必要など最初からないんだけれども、他の登場人物の「実はこういう一面が」が街の噂話レベルでも描写されているのにくらべ、「あざみ」さんの正体の知れなさはちょっと次元が違う気がするのだ。で、そういう(情報公開の)レベルを作者がかなり意識的にコントロールしているのがよくわかるので、かえって読者としては鼻白らんでしまうというか。結論ありきで書いているんだろうなあということがある時点で伝わってしまうので、残りはなんだかありがたいお説教だけを聞かされている気分になってしまうというか。

主人公が30歳そこそこで妙に達観しているというか、なんでもそれなりに上手に対処してしまい過ぎ、というのもある。もちろん彼女には彼女なりの欠点があり、作者はそこも書いてはいるんだけれども、なにしろ小説は彼女の主観をこと細かに描いているので、そのへんは上手に隠そうとしているようにも見える。人物の出来具合は、同い年の安西に比べても格段に差があるし、安西の親族ぜんたいに比べても彼女の方がずいぶんデキる大人という印象を与えるのだ。そこまでデキた主人公なら、もっと早い時点で安西を見限っていてもおかしくない—結局、なぜ碧が安西に惹かれていたのか、最後の最後になって明かされるんだけれども—そしてそのエピソードが、物語全体にほろ苦い印象を与え「いい話だなあ」という感想をもたらすんだけれども—そんな「いい話だなあ」に収束させたいがために全てを組み立てていたというあたりが、ちょっと自分には苦手かも、と思った。

著者の小説でいうとわたしがいちばん好きなのは『ミナトホテルの裏庭には』、次点が『月のぶどう』、そしてデビュー前の『こぐまビル』。ここらへんの作品にはあからさまな作為ではない、物語のダイナミズムそのものに心地良く乗れることができたし、読後感だってたいへん良かった。デビュー作の『ビオレタ』は結局まだ読了してないので(文庫版も買ってはいるけれども読んでない)言及は避けるけど、読んでる途中で投げ出したくなる作品とそうでない作品との差っていったいどのへんにあるんだろう、というのは少しばかり気になる。



しかし、いずれにせよ、このひとの小説がどれも「映像向き」であることには疑いようのないことだとは思う。いずれ何かしら映像化されるんじゃないかという予言をここでしておきつつ、現在連載中の小説が単行本になることを今から心待ちにしております(実は第一回だけ読んだきり以降はまったく知らないので)。