大晦日

晦日は毎年、とあるパブで年越しをしている。1999〜2000年の「ミレニアム」のとき以来だから、もう5年か。
雪の大晦日というのは、ほとんど記憶にない。路面が凍るかもしれないと思うと、帰路が怖いな。
昨年(というか04の元旦)、明けたばかりの午前3時ごろ、私は知恩院に参拝しようとしていたのだが、あまりの人の多さに通行規制が敷かれ、結局門にすらたどり着けなかった。あきらめてそのまま帰ってしまったのだが、今年はこの天気だ。人出はどうだろう。
それにしても毎年、初詣客というのはなくならないものだと思う。神戸のルミナリエなんかもそうだけど、「毎年変わらずそこに行く」ということ自体に価値があるんだろうな。分かる気もするし、よく分からないといえばそうかもしれない。
同じ場所に何万人も人が集まるのは、「共通の体験」をしておかなくては、という、ある種の強迫観念みたいなものでもあるかもしれない。人気が一カ所に集中し、一方で人気のないものはますます人気がなくなるという「勝ち組/負け組」の二極化は、こういう「共通体験の暗黙の強迫」と無関係ではあるまい。
多様化が叫ばれ「分衆の時代」などという言葉さえ生まれたバブル期からの、反動のひとつだという見方もできるだろう。そして、この「一極集中型」は、まだしばらく傾向として続くに違いない。いずれそのうちおだやかな揺り返しが来ることも間違いないだろうが、その時にはすでに「過去」の多くが整理・精算され、記憶の彼方に押しやられてしまったあとだろう。

人混みが年々苦手になってきた。ということは、私はたぶん「共通の体験」に対する拒否反応が強いのだろう。そして、現代では、それはすなわち「いわゆる負け組」へと直結する。
それでもいい、と思うのは、諦念なのか、開き直りなのか。いずれにせよ、ある種の覚悟を必要とされることなのかもしれない。