私はそもそも「おとなマンガ」という呼称が大嫌いで。

峯島正之は、あの、おとなマンガの絵で描かれた劇画とも言える傑作、佐川美代太郎「汗血のシルクロード」「望郷の舞」を世に出した優れた編集者なのに、あるジャンルを愛するあまりに、少しかたよった考えを持っているようです。わたし自身はおとなマンガも大好きで、現在のあまりに無視されている状況が不満なのですが、ここまでのかたくなな態度にはちょっと辟易してしまいますね。

石頭の頑固親父で結構だと思うんですよね。サンぺにしても同様ですが、万人が万人、世の中のすべての表現を認めなければならない法はありません。「わしの目の黒いうちは」などと啖呵の切れる人は、やっぱり世の中に必要なんですよ。
つーか、マンガやアニメが世界に誇れる日本の重要なコンテンツだ、主要輸出品だなどという悪い冗談がはやったのはたかだかここ数年のこと。物心ついたときからマンガに浸ってきた世代が家庭を持ち親となりあるいは孫まででき、消費/生産両面で社会のメイン層でハバをきかすようになっただけのこと。今の子供はマンガすら読まない、という「心配」が小学校のPTAで真面目に語られる時代でもあるんだけど、そのことの善し悪しは本当にはわからない。マンガなんてくだらないもの、という意識は、私の世代くらいまでは普通に持ってると思う。


シルクロード」「望郷の舞」は、実際のところどうなんだろう。まともな評論って出たことがあるのかな。夏目以後のマンガ評論文法が、あの作品をどう読むのかにもちょっと興味はある。
「おとなマンガ家が描いた劇画」とだけ書かれておしまい、という評だけでは寂しすぎるし、それじゃあ結局何も語っていないようにも思える。


おとなマンガ云々というよりも、むしろ『漫画集団』の歴史と果たした役割をジャーナリズム/出版文化史的にきちんと残しておく必要はあるでしょう。評価や好悪は人それぞれでしょうけど、それ以前の問題として、事実関係にわからないことが多い(というか熱心なマンガ読みでも『漫画集団』を知らない人の方が多いのでは)。それこそ、関係者がすべていなくなってしまう前に、若い研究者はきちんと聞き書きしておくべきなんじゃないか。