葬式かぁ

 結婚式では、「自分らしいウェディング」を主張する人々がふえ、お仕着せの融通のきかぬパック的なものは衰退していった。

 葬儀もやがて結婚式と同じ道をたどるのではないかと思うのだが。

ここんところがどうもよくわからない。
結婚式の場合は主役は生きてるけど、葬式では当の本人はすでに死んでるんだし。「自分らしい葬式」をと考えたとしても、それを実行するのは喪主でしょ。それとも、(故人の意向ではなく)喪主自身にとっての「自分らしい」葬式という意味なんだろうか。それはないよな。

もし死ぬ本人が「自分らしい」葬式をしたいと思ってるのなら、遺書に事細かに指示しておく必要がある。可能なら、本人自らが葬儀屋と打ち合わせ済みっていうのがもっとも理想だろう。しかし、いったいそこまでやる(できる)人ってどれくらいいるんだろうか。テメエの葬式を指示する前に、借金の整理とか遺産の分与をちゃんと指示しとけよ、てなものだわな。それすらやんない(できない)人がやはり圧倒的多数だろう。やんない人、というよりも、そもそもそんな「幸せな」死に方ができる人などあまりいない、といった方がいいか。


思うに、葬式なんてものは遺された人のためにやるものであって、「自分のために」やるもんではないのではないか。もちろん喪主のためにやるものでもない。せいぜい「その場に集まってくれた人」のためにやるものだ。だから、死ぬ本人が自分の葬式などあれこれ考える必要などないように思う。どんだけ自意識の固まりだっちゅーねん。
で、葬式に「個性」とかなんとかは、重要じゃないと思う。せいぜい、故人を偲ぶものを会場に置くとか、最後に一緒に棺に入れてあげるとか、そういうので充分だし、それ以外の供養はないんじゃないか。


ま、自分が死んだときには葬式なんかどーでもいいんだけどね。でも、親とか自分以外の場合はそうはいかない。


そういえば、通勤途中に、むかしストリップ劇場だったところがあって、ここ数年閉鎖したままだなあと思っていたんだけど、最近「家族葬」をやるホールに建て変わっていた。思うに無宗教でかつこじんまりとした葬式を行いたい人が利用するんだろう。まだ使用されているらしきところに出会ったことはないのだが。