過剰な物語

「物語」が苦手だ、ということは以前にも書いた気がする。なぜなのかはよくわからない。


先日、極東ブログで「アングリー・バード」というゲームアプリが紹介されていたので、どれどれと思い自分のiPadに入れてみた。なるほど面白いことは面白いんだけど、ちょっとイラッともする。まだそれほどじっくり遊んでいないからかもしれないが、パチンコで鳥を放つタイミングと角度の微調整がうまくいかないとかそういう類。同じようにやってるつもりでも結果が大きく違ったりすることもあって、なんなのかなーと思う。まあ、そのうち自然にコツがつかめるんだろうけど。
それよりも、「ちょっとイラッ」の原因は他にある。というのも、このゲームには背景となる「物語」がしっかり作ってあって、しかもユーザーはその物語というか世界観というか設定というか、その上で遊んでいるんだ、ということの方が気になったのだ。ただの玉あてゲーム、屋台崩しゲームではどうしていけないのか。


同じiPadのアプリで年末年始にはまっていたのが「Bubble Shooter HD」というゲーム。同趣向のゲームは大量にあるけどたまたま最初に見つけたのがこれだった。
http://buzzapp.jp/apps/394596972/Bubble%20Shooter%20HD/
これも特になんのことはない単純なゲームだが、いちどゲームオーバーになってもそこで終わらず、またすかさず一面から始まるので、気が付けばエンドレスで延々やってる羽目になる。こちらは何の物語も付随していず、ただひたすら目の前の泡の色を揃えるべく角度を調節して撃っていくだけでいい。このシンプルさが何時間やっても飽きない理由だと思う。


怒り鳥に似た感じのゲームでは「Ragdoll Blaster 2 HD Lite」も面白かった。
http://buzzapp.jp/apps/401281500/Ragdoll%20Blaster%202%20HD%20Lite/
何度か有料版を購入しそうになって思いとどまっている状態が続いているが、このメカニカルでクラシカルなグラフィックの質感がたいへんいい感じで気に入っている。このゲームでも「この人形はいったい何?」という疑問をはじめ、背景になんらかの隠された物語があるんだろうなあとは想像がつくが、敢えてそのあたりは知ろうとしていない。
つか、なんでRPGでもないゲームに「物語」が必要なのか。わたしが「Angry Birds」にひっかかるのは、つまるところその1点なのである。そうして、そんな自分とは違って「物語」があるからこそこのゲームを面白いと感じている人たちが、非常にたくさんいるからこそ、これは世界的にヒットしているんだろうなというあたりが、なんとももやもやしてしまうのである。


「物語」ということであれば、先日より話題の「ランドセル寄付」もそうだろう。たんなる匿名の寄付では決してニュースにもならず、したがって模倣者もあらわれなかったはずだ。最初にやったひとの本名がただ単に「伊達直人」さんだっただけで、タイガーマスクなんて当人はまったく知らなかった…とかいうオチを期待しているんだけど、どうも世の中はそういう方向へはいかないらしい。
寄付行為にすら何かの「物語」を導入してしまう、というか、「物語化」しなければ世間に受け入れられないという、この感じがなんともモヤモヤするのだ。
そりゃわたしだって漫画も読むし、たまになら小説も手に取るし映画も見ることもあるので「物語」そのものを否定するつもりもなければ、理解できないと主張するつもりもないのだけれど、そうなんでもかんでも「物語」がついて回らなくてもいいじゃないか、とは思う。
なんか、過剰に「物語」を消費しすぎてないか?