コインを集めていた日々

仕事が終わってバイクで帰路についている間、どういうきっかけだか、ふと大昔の趣味のことを思い出していた。小学生高学年のごく短い間の一時期、コイン集めに夢中になっていたのだ。思えば、あれはわたしが「なにかを収集する」ということを趣味にしはじめた、その最初の体験だったように思う。
いま現在「コイン収集」がメジャーな趣味なのかどうかは知らない。その当時でも世の中的に大ブームになっていたとか、そういうのではなかったと思う。コレクション趣味としては「切手」の方が押しも押されぬメジャーだったように記憶している。デパートなんかでも切手コーナーはわりと目立つ一角で輝いていた。コインの方は、同じショーウインドウのはしっこに少しばかり置いてあった程度だった。
小学生だったわたしがそうそうしょっちゅうデパートに行けるはずもない。しかしその当時はスーパーマーケットの一角にも切手・コインの販売コーナーがあったのではなかったか。いまやスーパーはもちろん、老舗の百貨店でも切手コーナーなんか見かけないのだが。
どうしてわたしがコインに興味を持ったのかはよく思い出せない。クラスでにわかに切手ブームがおこり、何人かがスタンプ帳を学校に持ってきて自慢し合っていたのを横目で眺めていたのは覚えているから、あいつらが切手ならこっちはコインにしてやれ、という風なあまのじゃくな対抗心からだったかもしれない。もうひとつ、そのころ祖父が亡くなって、遺品のなかから彼が持っていた古い硬貨を貰い受けたのもきっかけだったろう。
ただ、自分のお小遣いで買えるコインなどたかが知れていたし、祖父の遺品とて珍しいものなどほとんどなかったから、「収集」といってもはなはだ中途半端なものだった。
保育社のカラーブックスだったか、文庫サイズの趣味・実用書シリーズの中の一冊にコインの解説本があって、それがわたしの唯一の「参考書」だった(余談だが保育社のこのシリーズ、「カラー」ブックスと銘打っているわりにカラーページとモノクロページが交互にあらわれるというシロモノで、幼い頃のわたしはこれで4色/1色という印刷のしくみ…というほどおおげさなものでもないが…を学んだ)。
スーパーやデパートで売っていたコインは、白いボール紙製の正方形のケースに収められていて、それを専用のファイルブックに一枚ずつ並べて保管する。切手帳よりも(コインに厚みがあるので)ずっしりと重くなり、そういう手応えも「収集の歓び」を感じさせるものだった。わたしはそんなファイルブックを2 、3冊ほど持っていただろうか。内容はというと、日本の古銭が半分、残りは外国のコインで、父親に「地理の勉強になるから」とかなんとか言って小遣いをねだっていたようだ。
先にも書いたように、小学生の身ではめぼしいコインなど買えるはずもなく、どうあがいてもたいしたコレクションにはならなかった。ファイルブック自体は成人したあとも捨てずに持っていたはずだが、さすがに今はもうどこにあるのかわからない。保育社のカラーブックスももうどこかに行ってしまった。


自分のコインブックを小学校に持って行ったことが1、2度あったかどうか。たぶん友だちに自慢したかったのだろう。自慢と言っても、教室の隅で数人相手にこそこそと見せていただけなのだが、数日後、登校したわたしの机の上に一枚の紙が置いてあった。詳細は忘れたが外国の大きなコインの図柄である。実物のコインの上に模造紙をのせ、2Bくらいの鉛筆で擦って魚拓のようにでこぼこを写し取ってある(美術用語でフロッタージュとか言ったっけ?)家に帰ってくだんの参考書を調べてみてびっくり、そのコインはかなり珍しい、貴重なものだと書かれている。
どうみても実物を持っていなければ作れない写し絵が、目の前にある。クラスメイトの誰かが、その貴重な一枚を持っているということになる。彼または彼女はこっそりわたしに自慢したかったのだろう。残念なことに、その紙をわたしの机に置いたのが誰だったか、ついにわからなかった。あるいは別のクラスの子だったのかもしれない(が、もしそうならなおのこと、どうしてわたしの机の上に置いたのかが謎だ。わたしは自分のコイン趣味のことをそれほどおおっぴらに吹聴していなかったはずだから)。


自分にはどう逆立ちしたって手に入れっこない、そのコインの写し絵を、わたしはしばらくファイルブックに挟んで大事に持っていた。そうしてそれを眺めているうちに、「収集を趣味にするのは自分には無理だな」と思うようになった。なにより、わたしは昔から飽きっぽかったということも大きい。しかし、自分の性格はさておいても、世の中上には上がいるということを、こんなに鮮やかにみせつけられて、挫折を覚えないはずはない。結局、わたしのコイン趣味は、この「事件」以降急速にしぼんでいき、小学校を卒業するまでにはすっかり興味を失っていたのである。