たまには時事ネタでも

2020東京オリンピックはいろいろケチが付いてますな。国立競技場問題に続いて今度はロゴか。
まあ五輪ロゴってのはいつでもそうなんだけど、発表された時点では不評の声の方が高いような気が…ただ、今回は盗作だっていうクレームなんで、ちとやっかい。

大きく言って、国立競技場は主にカネの問題、ロゴの方はオリジナリティの問題、という理解でいいのかな。どちらも1964年東京五輪だったら話題にすらならなかったかもしれない。カネの方は国家の威信が現代以上にかかっていただろうし、それに高度経済成長っていう時代の勢いもその自信を裏付けていた。あの時代だったら、どんな無茶をしてでも建設していたかもしれない。
 
ロゴデザインの類似性についてはどう考えたらいいかな。もはや誰も見たことのない革新的なデザインなど生まれる余地がなくなった、という言い方もできるだろうけど、<革新的なデザインを作れない>デザイナーを責めるというより、<革新的なデザインを選べない>審査側の体質というか選球眼っていうか、そっちの方が大きい気がする。そもそもの経緯を全く知らないんだけど、これもデザインコンペなんでしょ? ということは落選したデザインだってたくさんあるはずで、そっちは見たことないのでわかんないけど、落選案にものすげえ革新的なデザインがあったかもしれない。
でも、そういうのはやっぱり選ばれない。で、大勢の審査員たちがいいって感じたバランスっていうかレイアウトっていうのか、そういう作品を選んだら、類似例がすでにあったという。
どうも作ったデザイナーが問題視されてるみたいだけど、これって<わざわざその案を選んだ側>の問題でしかないと思うんだな。

スタジアムは<これまでにない革新的なデザイン>を目指したのにカネの問題で叩かれ、ロゴは<類似品=新しさがない>ってコトで叩かれ。
とはいえ、たとえカネの問題がなくてもあのスタジアムは<革新的なデザイン>がゆえに反対する声は大きかったし、ロゴだって<もっとぶっとんだデザイン>だったらそれはそれで大不評を買っていたはずだ。

オリンピック不要論者は64年にもいたはずだけどその声は現代の方がより大きく、より広く遠くまで届いているだろう。推進したい側がそういう声の大きさにちょっとでもひるんでしまうようなら、まずイベントの成功は覚束ない。どのみち、たとえ64年をも上回る挙国一致体制で取り組めたとしても、前回大会を超えるオリンピックになどならないなんてはじめから誰にも分かっていること…あ、「あの感動を再び」って冗談抜きでマジで夢見ている層が一定数いるか…うーん。
<そもそも論>で言うなら、もうああいう巨大なイベントを定期的に開催すること自体が困難な時代になってんだろ、と。F1とかもそうだし、サッカーW杯だって賄賂だ何だといろいろくすぶってるし。
だから全部やめちまえというのはさすがに極論だとしても、どこかで大きく方向転換するべきではあるんだよなあ。でもって招致運動の頃は、そういう新しい方向への道筋をつける<東京五輪>だったはず、なんだよなあ。




【0819追記】
その後に次々出てきた疑惑やらなにやらをネット上でざっと眺めただけの判断だけど、どうやら、昭和時代の「密室なれ合い政治」と21世紀型の「お手軽コピペで一丁あがりテク」の融合というか、新旧それぞれの悪い面だけを集めて煮詰めたようなお話しでした…っていう理解でいいのかな。やっぱ<東京五輪を次の世代に向けた新しい方向に>持っていこうとする理念は招致成功と同時にあさっての方へ消えてしまって、かわりに<なんとか旨い汁を吸おうという有象無象が集まる>現実に乗っ取られてしまったってことのようで。
ともあれ、ここからどういう風に失地回復するのか、あるいはなにもしないまま突っ走るのか、見ものではあるかも。<なにもしない>方につい賭け金をベットしたくなりますが、さて。