スヌーピーとチャーリー(1972)

と言うわけで、40数年ぶりに見返したぞ。いやあ、すごくすごく面白かった。いかにも70年代の映画らしいサイケデリックな演出も随所にあったし、スペリング・コンテスト(ちゃんと作中の背景画像に“Spelling Bee”と表示されていたから公認なんですかね)なんて日本では馴染みのないテーマを、コドモだった当時のわたしがよく理解できてたなあ(当時も難しい話だなあとか思っていたはずだが)。ウッドストックが全く出て来なかったのは、ビデオを観ながらそういやそうだった、などと思い出していたが、ライナスの毛布騒動を含め彼が全編を通じてこんなに重要な役回りだったとは。DVDを見て思い出したシーンも多かったけど、同じくらいすっかり忘れているシーンも多かった。
なにより訂正しておけなければならないのは、前のエントリに書いたルーシーのラグビーボール。エンディングがあの名セリフで締めくくられるのは記憶通りだったけど、冒頭には使われていなかったのだ。映画は例のたこ揚げと、それから野球で始まったのだった。そういう意味で、やっぱり2015年版の映画はこの1972年の劇場版第1作をかなりの部分で踏襲していると言っていいのかもしれない。
ピーナツ映画といえばジャズ、それもピアノ・ウッドベース・ドラムスのピアノトリオってイメージがあって、新作もジャジーなサントラだったけど、そのへんの雰囲気も72年版を踏まえているんだろうか。ミュージカルシーンが多めだったのは70年代初頭の流行に則ってはいるんだろう。
ともあれ、実験映画的なシーンも含めて(特にシュレーダー(ってルーシーは発音してたな、やっぱり)のピアノソロのシーンなんかチェコあたりの前衛アニメっぽくってステキ)、21世紀のいま見返しても充分面白かったし、かなり楽しめた映画だった。演出の自由さでいえば当時の方が過激だったんじゃないかと思えるくらい。ていうか、今の映画は子ども向け・ファミリー向けって意識が相当強いんだけど、昔の映画は作っているオトナたちがまず最初に面白がっているふうで、そんな自由なオトナたちをコドモの観客がうらやましげに眺めているっていう感じかな。そういう映画づくりが可能だったっていうのも、まあ時代なんだろうねえ。ターゲティングとかマーケティング戦略をまず最初に考えるのがセオリーになってる現代の商業映画作品とは全く違う方法論で作られたかつての精神を、それでもなんとかがんばって取り入れようとしたのが2015年版の映画だ…と見てもいいのかもしれないな、とは思った。